海老澤哲雄『マルコ・ポーロ』


 世界史リブレット人の一冊。モンゴル時代の大旅行家、マルコ・ポーロを扱う。
 
 マルコ・ポーロ。彼の名は旅行記『東方見聞録(百万の書)』とセットですこぶる有名であるが、その実、彼のパーソナリティについては分からないことが多いらしい。本文中でも触れられているが、ほぼ同時代の大旅行家イブン・バットゥータは、旅先での体験などを事細かに記しているし、他の書物(例えばイブン・ハルドゥーン『歴史序説』)などにも顔を出し、彼個人のことも多少は分かっている。ところが、マルコに関しては旅先の地域のことは述べるが、旅程や旅の間の暮らしぶりなどはあまり表に出さない。
 加えて、マルコは大元ウルスの宮廷に仕え、クビライとも謁見したと述べるのだが、漢文史料にはマルコの記録は一切無いのである。このあたりの胡乱さから、モンゴル史研究者の杉山正明氏などは「マルコ・ポーロという人物が果たして本当に実在したかどうかは、定かではない」とまで述べている*1。ここまで極端ではなくとも、『東方見聞録』の記述に怪しいところがある、という事実は本書の著者海老澤氏をはじめ多くの研究者が認めるところである。

 本書のサブタイトルは「『東方見聞録』を読み解く」だ。世界史リブレット人は評伝シリーズだが、今回は『東方見聞録』の内容の精査に多くの分量が割かれている。マルコ個人のことを知ろうと思えば、『東方見聞録』の記述に依るしかなく、そのためには疑わしい記述を分析してかからねばならないためだ。
 まず、前置きとして『東方見聞録』の性格についての解説がある。上で述べたような内容や、また『東方見聞録』の各種邦訳の書誌とそれぞれの性格、学術的価値の紹介もある。

 ①「父ニコロと叔父マテオの第一次東方旅行」では見聞録「序章」にあるニコロとマテオの旅行について、当時の国際的・各地域的な状況を踏まえた上で見聞録の記述を裏付けたり、修正したりしている。面白いのは、マルコはベルケ・フレグ間の戦争のためにニコロとマテオが西へ戻れず東へ向かったと述べているのだが、西へ帰るルートであるクリミア経由の海路はこの戦争の影響を受けていないということだ。この時期、ニカエア帝国のミカエル8世がコンスタンティノープルを奪回しビザンツ帝国を復活せしめた事件と関連し、黒海ではジェノヴァが彼らの故郷ヴェネツィアを上回る勢いを示しており、マルコはヴェネツィアがジェノヴァに圧倒されていたという事実を記したくなかったのではないかと著者は述べている。また、ニコロとマテオがクビライから教皇への使節として任命されたという記述について、クビライが仏教を重んじパスパを国師としていたことや、教皇庁に何の記録も残っていないことなどから疑問視している。

 ②「フビライ宮廷のマルコ」ではクビライ(フビライ)宮廷に仕えた(と述べている)マルコの記述をもとに、彼がどのような人物であったのか分析を試みる。著者はクビライがマルコを「側近」にしていたというのは誇張であるだろうが、見聞録にある詳しい宮廷事情から、彼がクビライの宮廷に出入りしていたところまでは想定しないと説明できないだろうとしている。
 なお、クビライが南宋の名将呂文煥が立てこもる襄陽を投石器で砲撃し、陥落させたことをマルコは投石器を伝えた自分の手柄にしているが、これに関しては『元史』に記述があり、実際のところはフレグウルスから派遣されてきたムスリム技術者の功績であった。
 また、見聞録から臨安の記述を紹介、また見聞録にある各宗教の信徒たちの様子(なお、マルコがキリスト教徒だと伝えている集団はマニ教徒である可能性があるという)もまとめてある。
 さらにマルコはクビライを褒め称えているが、これは、マルコが偉大な君主に仕えたと述べることによって自分たちを持ち上げたいという意思が働いたのだろう、としている。そう言えばこれはイエズス会の修道士が中国を偉大な国であると述べた事実と重なる部分がある*2

 ③「マルコの帰国と『東方見聞録』」では、フレグウルスへの使節に同行したマルコの帰路と帰国後のヴェネツィアとジェノヴァの争い(マルコがジェノヴァの捕虜となり見聞録を獄中で口述したということは有名な話である)に関して、また、コロンブスが見聞録から受けた影響について述べている。
 コロンブスは、見聞録の記述をもとに、カトリック両王に対し、布教への使命感を煽って援助してもらったという。

 全体を通じて、マルコの記述には誇張が多く、『東方見聞録』はなかなか扱うのに厄介な書物であるということがわかる。だが教皇への使節の件にしろ投石器の件にしろ、マルコは全くの創作ではなく、現地で聞いた逸話や伝聞をもとに盛り込んだ記述をしており、「いかにもありそう」な事を述べることには長けていたこともわかる。それはもちろん、自分たちの名誉のためでもあったのかもしれないが、また同時に読者を楽しませる効果があったことも事実だろう。マルコ自身がそれを望んだのかはよくわからないが、彼はストーリーテリングの秀才でもあったのだろうと思わせてくれる一冊であった。

*1 杉山正明『モンゴル帝国の興亡<上>』p.16
続けて杉山氏は「ヴェネツィアの公文書館には、確かにマルコ・ポーロの「遺産文書」が残されている。それによれば、そこそこの資産家であった。しかし、確実に14世紀にこの世にあったそのマルコ・ポーロなる名の人間が、有名な旅行記のマルコ・ポーロと同一人物である保証は、まったくない。当時の北イタリアには、ポーロを名乗る家はいくつもあったと言われる。マルコという名も、ごくありふれた名である」と述べる。
*2 岡本さえ『イエズス会と中国知識人』
プロフィール

鉄勒京二

Author:鉄勒京二
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