南川高志『ユリアヌス』


 世界史リブレット人の一冊。副題は「逸脱のローマ皇帝」。帝国のキリスト教化が進んでいくなかにあって、異教の復興を目指した「背教者」とも呼ばれるユリアヌス帝の評伝。

 ユリアヌスは後期ローマ帝国の中でも割合有名な皇帝で、その在位期間は僅かに1年と8ヶ月。ではあるが、その生涯は幾度か小説にさえなり、耳目を集めてきた。本書はユリアヌスをローマ史における「逸脱者」と位置付け、その生涯をたどっている。記述は時系列順で、バランスよくまとまっている。

 大帝コンスタンティヌスの甥ではあったが、大帝に子や甥が多い中でさして目立たない存在であった彼は、幼少期に親を殺されるなど大変な状況にはあったものの、しばらくは政治とは無縁に古代ギリシアの文芸や新プラトン主義の哲学になじんで育つ。その外で、彼を置いて帝国は四分割統治からの内乱を経て、ユリアヌスが表舞台へ立つことになる状況が整いつつあった。
 この部分では、新プラトン主義の内容や、彼の師について少し触れられている。とは言え、ユリアヌス本人よりも、当時のローマの状況に重きが置かれた記述になってはいる。

 勉学三昧のユリアヌスだったが、帝国は内乱に揺れ、コンスタンティヌス大帝家の男子は皇帝コンスタンティウス2世と、その従兄弟であるユリアヌス、そしてユリアヌスの兄ガルスだけになってしまった。
 まずはガルスが副帝として引っぱり出される。だが、ガルスは皇帝の意思に従わず、結局皇帝に処刑される。しばらくはコンスタンティウス2世が単独皇帝として帝国を統治するが、サーサーン朝の動きもあり、東方へ向かわねばならなくなったコンスタンティウスは、ユリアヌスを西方の押さえとして副帝に任じた。
 この流れを見れば、ユリアヌスがローマの政治史の表舞台に出たのはかなり偶然で、受け身の色が濃い。実際のところ、コンスタンティウスはユリアヌスに実務を期待しておらず、神輿になってくれていればよかった。ところが、西方ガリアでのユリアヌスは幾度かの戦争で経験を積み、優秀な軍事指導者となってゆく。これが著者の言う「逸脱」の始まりであった。
 その後、ユリアヌスはパリで正帝として担ぎあげられ、コンスタンティウスに対する反乱の首魁となる。なお、この時、従来はユリアヌスが特にその気は無かったにもかかわらず、兵士たちの意思によって不可抗力で皇帝となったとされてきた。著者はまず、バワーソックの研究を紹介し、これがユリアヌスの意思に基づくものであった可能性を示す。その上で、著者は事件後のユリアヌスの行動を分析し、少なくとも副帝に戻るつもりはなかったであろう、とする。
 ユリアヌスはガリアの軍を率いて東方へと向かったが、コンスタンティウスはあっけなく病死し、ユリアヌスは単独の皇帝となってコンスタンティノープルに入った。

 皇帝となったユリアヌスは、一つに質素な暮らしぶりを示し、いま一つに異教の復興への意思を示した。これらはいずれもローマ皇帝としては「逸脱」と見なされる時代になっていた。宗教的寛容を求めたはずのユリアヌスの宗教政策は先鋭化し、帝国の人々からそっぽを向かれることになる。
 財政政策もうまくいかず、そも彼が護持したはずの異教に関しても市民的な異教の感覚とは乖離した形式を強要し、非キリスト教徒からも評判は悪くなる。
 この状況下で、ユリアヌスはペルシア遠征を企てた。このタイミングでペルシアへ向かったのは、長く続くローマとサーサーン朝の対立も当然の前提ながら、彼が軍功によって、失われていた威信を得る必要があったからだろうと著者はいう。だが、その遠征で、先陣を切って闘ったユリアヌスは戦死する。
 皮肉なことに、これだけはあるべきローマ皇帝像から逸脱していたユリアヌスにあって、これだけが最もローマ皇帝らしい振る舞いであった。その唯一ローマ皇帝らしい振る舞いが失敗に終わったことこそが彼の悲劇であっただろうという旨を書いて、本書は結ばれている。

 世界史リブレット人シリーズは限られた頁数の中で著者の書きたいことを書こうとすると偏りが出てしまう部分のあるシリーズである。だが、本書は「逸脱」をキーワードにしながらも、極端に部分部分にかたよる記述はなく、読みやすくなっている。同著者の『新・ローマ帝国衰亡史』でユリアヌスについて少し詳しいことを知ったが、その上で読むにはとても良い本であった。
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鉄勒京二

Author:鉄勒京二
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