岡本隆司[編]『宗主権の世界史』


 近代の国際秩序の確立を、東洋史側から問い直す一冊。
 
 現代世界を見ていると忘れがちだが、国民国家体制というものはせいぜいここ300年ほどの間に広がったものにすぎない。そもそも「国民国家」という言葉がある以上、国民国家でない国家の存在が前提にあるのは、導論で編著者の岡本氏が述べている通りである。しかし、ややもすればグローバル・ヒストリーや(歴史学の範疇を超えるが)国際政治学等の社会科学はそのことを忘れがちである。本書は、西欧がその国家体制を前提として世界に乗り出し、アジアに従来ある普遍性の重層(オスマン帝国はモンゴル、イスラーム、ローマであり清朝はモンゴル、チベット仏教、儒教)と出会ってそれを表現する時、「宗主権」という言葉が生まれたのだとする。してみると、西欧式の国家観が前提となった「宗主権」という言葉の成り立ち・またその言葉が適応される事態の個々の内実を腑分けすることにより、多角的な歴史の分析を試みることができる。
 その「宗主権」という言葉は、まずもってオスマン帝国の各地域との関係を示すために現れた。それが、やがて東アジアへ西欧が進出してくるにあたって、清朝の各地域との関係を表すために適用される。ゆえに、本書はオスマン帝国と清朝を主な考察対象としている(中央アジア、南アジアが等閑視されている部分は少し気になる)。

 第一部ではオスマン帝国、第二部では東アジアの「宗主権」について論じ、第三部、第四部では概念翻訳の問題が取り扱われている。第五部は少し時代が下り、西欧式の国家体制にぶつかった「その後」のアジア各世界が対象である。
 各論文の著者の関心が、それぞれ主題に関わりがあるとは言え一様ではないため、ややちぐはぐな印象も受けるが、とは言えアジア従来の体制と西洋近代式の体制の相剋・葛藤の過程を決して西欧側の視点からのみではなく見ることが出来るという点では共通している。

 個人的に面白かったのは第十章「宗主権と正教会—世界総主教座の近代とオスマン・ギリシャ人の歴史叙述」で、正教会の世界総主教座(イスタンブルにある)が、むしろ非西欧式の普遍性とともにあり、オスマン帝国に寄り添う立場を取っていたという議論である。イスラームが国民国家と相性が悪いという議論はしばしばされるが、キリスト教(この場合は正教)にも似たような性質があったということであろう。
プロフィール

鉄勒京二

Author:鉄勒京二
当ブログは一介の歴史好きが読んだ本を紹介したり、書いた文章を公開したりするための場です。執筆記事は西アジア史関係が多いですが、読書は西アジアにこだわらず地域・時代を広く浅く扱っています。
当ブログの内容を雑誌・書籍等にご利用されたい場合はご一報下さい。
管理人への連絡は掲示板か拍手でどうぞ。

検索フォーム
カテゴリ
リンク
アクセスカウンター
月別アーカイブ