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名は体を表さず?―中世東西アジアのラカブと官途受領名―

 世間は大学入試の時期ですが、高校世界史でムスリム人名に「イブン・○○」が頻出して辟易した人は多いと思います。あれは「ナサブ」と言って「誰々の息子(あるいは子孫)」を表すものです。例えば、「イブン・ハルドゥーン」なら「ハルドゥーンの子孫」の意で、事実上の苗字のようなものです。
 ムスリム人名の構成要素は他にイスム(本人の名前)、ニスバ(出身地など)、ラカブ(綽名・尊称)、クンヤなどがあります。
 クンヤは「アブー・○○」=「○○の父」、「ウンム・○○」=「○○の母」の形を取り、基本的に○○には長男の名前が入ります。ただし、クンヤは人物の綽名に使われることもあり、初代正統カリフ「アブー・バクル」は「ラクダの親父」、つまりラクダのような人の意になり、猫好きで知られる教友「アブー・フライラ」は「子猫の親父」、つまりにゃんこ親父くらいの意になります。

 さて、今回の主題はラカブの話。
 有名どころで言えば、アイユーブ朝のスルターン、サラーフッディーン(サラディン)がラカブで知らている人物でしょう。分解すると「サラーフ・アル=ディーン」となり「信仰(宗教)の救い」の意になります。「サラーフ」が「救い」で「ディーン」が「信仰」、「アル」は定冠詞なので英語の「the」と同じようなものだと思ってください。尊称としてのラカブは、カリフや支配者から与えられるものでした。
 サラディンは言うまでもなく武人でした。ところが実は「○○ディーン」系統のラカブは、サラディンよりもっと早い時代には武人のものではありませんでした。セルジューク朝の名宰相、ニザーム・アル=ムルクは著書『統治の書』で「ラカブはその人物にふさわしいものでなければならない」と述べた後、以下のような基準を示しています*1
 カーディーやイマーム、ウラマーなどの宗教指導者層のラカブは「○○ディーン」系、「○○イスラーム」系、「○○スンナ」系、「○○シャリーア」系、「○○ウラマー」系である。
 同様に、文武の高官には「○○ダウラ」系のラカブを、徴税官や行政官には「○○ムルク」系のラカブを用いるべきである。
 ニザームが示す基準に従うのであれば、「○○ディーン」系のラカブは本来武人が用いてはならないということになります。実際、ニザームは「ウラマーでもないのにこれらのラカブを帯びる者については、それが誰であれ、帝王や見識を持つ人々がそれを許すことなく、その者を処罰しなければならない」と述べています。
 とは言え、サラディンの上司ヌールッディーンや舅のウヌル(ムイーヌッディーン)、父アイユーブ(ナジュムッディーン)などの武人層が「○○ディーン」系のラカブを使っていることを見るに、ほぼこの基準はサラディンの時代までに有名無実化していたようです。
 イブン・ジュバイルが「この種の偽の尊称が果てしなく唱えられるのを聞かされるのである」と『旅行記』で嘆いていますが*2、ダマスカスの葬儀では、葬儀の世話役たちが街の貴顕や名士たちが弔問のため到着するたび「○○ディーン」系のラカブで呼ばわるという手順があったといいます(流石にここで呼ばわれたラカブを通称として使う人はいなかったと思いますが)。

 ここで思い出すのが日本史、とくに中世後期における官途受領名。受領名というのは「○○守」「○○介」という地方官の名前です。当該時期の武家は、自分が持っていた受領名の土地とは全く無縁のことが多かったといいます。例えば真田昌幸は「安房守」ですが、本人は信濃の国衆なので当然のこと安房とは何の関係もありません。武士たちは本名を呼ぶことを避けることと、ステータスを示すために官途受領名を名乗っていたそうです。
 実態を伴っていないので、同じ受領名を持つ人物が複数いても一切問題なく、実際、真田昌幸と同じ安房守を同時期に北条氏邦が名乗っていたりします。
 ただし、同一の姓かつ同一官途受領名になってしまうと、官途受領名を本名の代わりに名乗るわけですから、個人の識別がつかなくなってしまうので、同一姓同一官途受領名は避けられていたとのこと。
 本来、官途受領名も朝廷から与えられるものだったわけですが、時代が下ると大名が国衆や家中の武士に与えたり、果てには自称まで横行したりとかなりいい加減な運用になっていた模様です*3

 尊称としてのラカブにしろ官途受領名にしろ、もともとは公権威者から許可を得て使うものだったはずが、いつの間にかちょっとしたステータスは伴うものの個人の識別子に成り下がり(ニザームもラカブは個人の識別に便利である旨書いています)、乱発されるようになってしまいます。
 西アジアと日本という離れた土地ですが、似たような話はあるものだなあ、というお話でした。

*1ニザーム・アルムルク 『統治の書』 p.200
*2 イブン・ジュバイル『イブン・ジュバイルの旅行記』 p.405
*3 以上日本中世の官途受領名については全て小和田哲男「今川義元はなぜ三河守か?――武士と官途受領名」『増補改訂版 日本史に出てくる官職と官位のことがわかる本』


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鉄勒京二

Author:鉄勒京二
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