木畑洋一『チャーチル』


 世界史リブレット人の一冊。副題は「イギリス帝国と歩んだ男」。
 
 チャーチルは第二次世界大戦の際のイギリスの指導者として著名である。とは言え、チャーチルのキャリアがそこに集約されてしまうわけではない。第一次世界大戦史に詳しい人なら、彼が海軍大臣として臨んだガリポリ上陸作戦がドイツのザンデルスとオスマン帝国のムスタファ・ケマルによって失敗し辞任に追い込まれたことも知っているだろうし、また彼はノーベル文学賞を受賞した『第二次世界大戦』を始めとする多くの著作を残した文筆家でもあった。
 本書は、副題通りチャーチルの経歴をイギリス帝国の歩みと平行させることにより、チャーチルが帝国史において果たした役割、また逆にチャーチルにとって帝国とは何であったかを描き出している。

 まず、簡単にチャーチルの生い立ちが紹介された後、チャーチルの初期のキャリアではイギリス支配下の植民地に出向くことが多く、その中で「文明化の帝国」観を身に着けていったことが語られる。帝国主義と蒙昧な現地人を教化するという使命感(これがヨーロッパ中心主義的であることは、今日においては指摘するまでもないことだが、当時その自覚は無かった。このあたりは弓削尚子『啓蒙の世紀と文明観』に詳しい)を得て、帝国の維持に心を砕くようになる。
 政治家としてのチャーチルは特定の政党にこだわることなく、自身の問題意識に応じて移籍したが、自由党内閣では要職を歴任したのち海軍相に就任し、海軍の拡充に努めた。前述の通りチャーチルの海軍相としての仕事はガリポリでの失敗によって途絶える。だが、チャーチルは一端は一線を退きながらも機を待ち、一度軍務についた後、再び政治の世界へ戻ってくる。大戦終結後の戦間期に彼は植民地相に就任するが、彼はアイルランドには譲歩をしつつも、アフリカを重要視し、アフリカに費やす予算の増額を主張していた。さらに、連立内閣の崩壊後、チャーチルの政治的な足場は不安定になるが、相変わらずインド独立運動勢力と話し合う円卓会議開催への反対、帝国の英連邦化を進めるウェストミンスター憲章への反対など、その立場は揺らがなかった。
 しかしながら、チャーチルの態度は既に時代遅れであると見なされており、「頑迷な帝国主義者」とのイメージが既にこの時点でチャーチルに与えられていたようだ。

 だが、第二次世界大戦の勃発が、彼を首相の座につける。ヒトラーに対して融和的だったチェンバレンを批判していたチャーチルへの期待があったからである。ただし、ローズベルトとの会談時の大西洋憲章では、ローズベルト側の主張により民族自決の原則が持ち込まれたが、チャーチルはこれが大英帝国の各植民地への自治権の付与とは何ら関わりがないと議会で断り、相変わらずの姿勢を示した。日本の進撃によりチャーチルはインドへは戦争協力の見返りに妥協をしてもいいという態度を取るが、あくまでこれは喫緊の危機への対応であり、チャーチルの原則がぶれたわけではない。

 結局、戦争終結後、一度野党へ降り、再び首相となったものの、チャーチルに大英帝国の解体を留める力はなかった。スエズ戦争はドイッチャーがいみじくも指摘した通り時代遅れの帝国主義戦争であったが、チャーチルはエジプトに強硬な態度で挑むべきと主張していた。しかし、彼は脳内血管けいれんの発作により半身不随に陥っていた。
 五年後の1965年にチャーチルは世を去るが、大英帝国の解体をこれ以上見ずにすんだのは、チャーチルにとって幸せであったかもしれない、と、著者は結んでいる。

 チャーチルの価値観については、「文明化の帝国」観が色濃く影響しており、今更言うまでもないことという判断からか、特に留保なくチャーチルの価値観を地の文で使う部分が見られる。とは言え、時代が現代に近いこともあり、つい現代の価値観で歴史を判断してしまいがちな我々一般読者としては気をつけて読みたい部分ではある。
 また、本書は解体期の大英帝国史としても読めるので、その方面に関心のある向きも一読をすすめたい。
 逆に、戦史や指導者としてのチャーチル像を知りたい人は別の本を当たった方がよかろう。
プロフィール

鉄勒京二

Author:鉄勒京二
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