池田美佐子『ナセル』


 世界史リブレット人の一冊。副題は「アラブ民族主義の隆盛と終焉」。
 
 ナセルの一般的なイメージはどんなものだろうか。山川の高校用世界史用語集では第三世界の自立と危機の項で現れ、アラブ民族主義の指導者として紹介されている。この線を敷衍すると、エジプト52年7月革命の指導者、ネルーやティトーと肩を並べる第三世界の雄、アラブ世界の英雄、といったところか。概ね、これらのイメージにはそれぞれ根拠がある。しかしながら、これがナセルの全体像であるとは言いがたい。ムスリム同胞団や共産主義者にとっては弾圧者であっただろうし、強権政治によって当時のエジプト社会では自由が制限された。

 本書は時系列順でナセルの生涯をたどり、要所要所で背景事情などを説明する形をとっている。
 重要な前提として、ナセルはサアド・ザグルールらによる1919年革命の余熱冷めやらぬ中で育ったが、この熱気は「新しい世代」の政治的自覚を呼び覚ましていた。農村人口の増加による都市への人口流入や、公教育の拡大を背景として育った「新しい世代」は様々な潮流の政治運動に身を投じた。
 まずは草の根のイスラーム復興運動に根差すムスリム同胞団、ふたつめは当時の時代潮流の中で現れた共産主義者、そして国家主義的な性格を帯びた青年エジプトである。青年エジプトとナセルは若いころに関わっただけだったが、前二者とナセルは政権を獲得する前も後も複雑な関係を示すことになる(ナセルと同胞団の関係については横田貴之『原理主義の潮流』に詳しい)。この段階では、後にナセルが掲げるアラブ民族主義はエジプトの主要な潮流とは言いがたい。
 そもそも、アラブ民族主義はシリアのキリスト教徒アラブ人の運動によりはじまったもので、ナイル周辺に人口が集中し一国主義的なナショナリズムの醸成しやすい土地柄であったエジプトはアラブ民族主義とは一線を画していた。このあたりは本書では詳しくないので手頃なところでは加藤博『イスラーム世界の危機と改革』を参照されたい。

 記述は52年7月のクーデター、国王ファルークの追放、農地改革の実施と進んでいく。興味深いのは7月クーデターは当初「革命」とは呼ばれていなかったということだ。本書によると、「革命」の言葉が登場したのはクーデターから半年後の翌年1月だったという。そもそも、当時ナセルらの自由将校団は体制の打倒を目的としており、その後の政権運営を担うつもりはなかったらしい。しかしながら、労働争議への過酷な対処で左派勢力から反発されたり、各政党へ自浄を促すもうまくいかなかったりと問題続きで、結局のところ自分たちで政権を担う他ないと判断するに至る。この過程で「革命」の言葉が出てきたようだ。

 クーデターの神輿に担いだナギーブとの対立をナギーブ失脚という形でけりをつけたナセルは、国際社会にエジプトの指導者として登場する。バグダード条約機構の成立によりイラクが条約機構に取り込まれ、新たな帝国主義の空気を感じ取ったナセルは、条約機構のアラブ世界への拡大を牽制して阻止し、またバンドン会議に参加し第三世界における積極的中立主義の旗振り役の一人となった。
 そしてスエズ戦争こと第二次中東戦争での政治的な勝利により、ナセルはアラブの盟主としてその名を世界に示すことになる。
 このあたりでの資本主義陣営と社会主義陣営の間にうまく立ち、双方から利益を引き出そうとするナセルの姿勢は、共産化する前の近代アフガニスタンを思い起こさせる。アフガニスタンは失敗したが、エジプトは全き成功とまでは言えぬまでも、ある程度冷戦下でうまく泳ぎ切ったように思える。これは、両者の環境の違いも見落とせないが、ナセルの力も少なくないのだろう。

 だが、シリアとエジプトによるアラブ連合共和国成立を頂点に、ナセルの人生は下り坂を降りはじめる。アラブ連合は短期間で分離し、イエメンへの出兵はサウジとの対立により泥沼と化した。
 この時期にナセルが強力に推し進めたのは国内問題への対処、「社会革命」であった。社会主義を現地化して取り入れるアラブ社会主義(本書の説明ではある種の開発独裁であるように読める)の推進を行った。ただし、ナセルはコミンフォルムを除名されたティトーと深い関係で結ばれていたように、ソ連とは一線を画していた。
 ナセルは工業化に加え、貧富の差の縮小と社会保障の充実、公教育の拡大などを強力に推し進めた。ところが、国民生活の向上と経済成長を同時に狙ったナセルの計画は無理が祟り、時代が下るにつれて資金繰りの困難に直面するようになる。ここにとどめを刺したのが第三次中東戦争での敗北だった。
 この後、ナセルは辞意を表明するものの国民の嘆願により政権にとどまるが、理想主義は影を潜め、現実的な問題の対処へ追われることになる。
 最終的に、激務を続けたナセルは、1970年にヨルダン内戦の停戦合意の仲介を行った後、心臓発作に倒れることになる。享年は52。

 生前絶大な影響力を誇ったナセルだったが、その死後急激に影が薄まり、サダトはナセルの後継者を自ら任じながらもナセル路線から大きく舵を切る。結局、ナセルが残したものは何だったのだろうか。著者は、本書で縷々功罪を述べながらも、少なくとも帝国主義に立ち向かってエジプトの独立を達成・維持し、これまで政権から目を向けられなかった民衆の生活を向上させようと務め、「人間としての尊厳のメッセージ」を残した、としている。
 ナセルはエジプトの民衆に夢を示してみせた。その夢が例え時代遅れになろうとも、国民が夢を見る経験をしたという事実は、エジプトにとって大きな遺産となったと思う。その意味で、著者の見解は首肯できるところであろう。
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鉄勒京二

Author:鉄勒京二
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