近況・新刊情報と最近読んだ本など

 そろそろ雨の多くなってくる時期ですがいかがお過ごしでしょうか。
 まだブログで触れたことがなかったなと思うのですが、ルネサンス期イタリアが舞台のマンガ『アルテ』の新刊が出ていたので買いました。今回から舞台はヴェネツィアへ。この都市国家はそろそろ交易国家としての斜陽を迎え、手工業に力を入れ始めるころですが、それを感じさせる台詞もちらほらと。キャラクターとしてはアンジェロが好きなのでしばらく出てこないであろうことが少し寂しいです。
 歴史マンガと言えばハトシェプストを主人公にした古代エジプトもの、『碧いホルスの瞳』も来月新刊が出るようでこちらも楽しみです。

 さて、新刊情報。
 まずは7月、カエサル戦記集の最終巻、本邦初訳となる『アレクサンドリア戦記 アフリカ戦記 ヒスパーニア戦記』と、新書で深町英夫『孫文――近代化の岐路』 が岩波から。
 8月分では講談社現代新書から玉木俊明先生が世界システム論について一冊出すようです。創元社からもこのあいだ出したばかりですし、最近色々本を出されますねえ。

 以下、最近読んだ本。
 

■石井正己『柳田国男 遠野物語』
 民俗学と言えば外せないのが柳田なわけですが、はじめから遠野物語を直で読むのもどうかと思ったのでまずは解説書から。
 柳田が『遠野物語』を書くに至った過程なども織り交ぜつつ、遠野物語に収録されている話を取り上げつつ、類型化し、解説していっています。
 これはこれで面白いのですが、やはり歴史屋的には「論」が欲しいところ。とは言え、得るものは多かったのでいずれ原文にも挑戦してみようと思います。


■高谷知佳『「怪異」の政治社会学』
 こちらはまさに「論」の本。と言っても、著者は法学部出の法制史の専門家のようで、文学部系の歴史学者ではないようです。さりながら、成文法の解釈に走りがちな法制史とは一線を画し、史料に現れる事例をもとに当時の価値観の中で「怪異」がいかに政治の文脈に読み込まれ、対応され、あるいは利用されていたか、という視点を取っています。
 まずははじめに寺社から発信され、政権が対応する「収拾される怪異」があり、これは鎮護国家を担う寺社が、政権に対して何らかの要求をするときに用いられた、とされます。
 しかしながら、これが回数を重ねていくと、一般民衆の間に「どういうものが怪異とされるのか」の知識が蓄積され、そのうち民間からもこれは怪異ではないのか、という発信がなされ、後は噂が噂を呼び、収拾されない「風聞としての怪異」が生まれます。
 さらには、社会情勢の変化にともなって地代収入が得られなくなった寺社が、信仰や寄進といった実利を求めて、社会に対して発信する「都市社会に宣伝される怪異」が生まれました。
 重要なことは、この段階を経るごとに社会に流通する「怪異」の分量は増えており、そのピークが室町時代であった、ということです。近世の怪談はもはや政権に相手にされることはなく、単に商業的に流通しただけである、と言われてしまうと、そこはああ確かに、と納得するところ。
 民俗学的な怪異譚の類型化も勉強になるのですが、こういう社会の中の怪異を書いてくれる本は非常に面白いですね。


■廣瀬陽子『アゼルバイジャン――文明の交錯する「火の国」』
 東洋書店が破産してしばらく経ちますが、東洋書店の「ユーラシア・ブックレット」シリーズの後継シリーズとして、群像社から「ユーラシア文庫」シリーズが出版されています。本書はその一冊。
 カフカス三国はたぶんユーラシアの国家の中で日本人にもっとも縁遠い国々の一つだと思いますが、その中でも石油資源のお陰で割と近代化の進んでいる(一方で、都市部と地方の発展差も広がっている)のがアゼルバイジャン。
 内容的には明石書店のエリア・スタディーズシリーズに近い感じですが、エリスタに比べると現代史要素が強めでしょうか(なお、エリスタには現在アゼルバイジャンの巻は出ていません)。
 アルメニアとの領土問題や、それと絡んだトルコとの関係など、うまく整理されていて大変分かりやすい本です。類書もないですし、頁数も100頁強と手頃なので興味のある方は是非。


■山口輝臣『島地黙雷――「政教分離」をもたらした僧侶』
 島地黙雷。廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた時代、渡洋して西洋由来の「宗教」概念を日本に持ち込み、キリスト教に対抗するためには仏教の布教が必要だとして、仏教擁護に努めた浄土真宗のアグレッシブな仏僧ですが、維新史において政治史と分離されがちな宗教史が、黙雷の生涯を追うことでなんとなく分かるようになっています。
 同郷人の木戸との縁もあって、地方のいち僧侶に過ぎなかった黙雷は真宗中央の動向にも影響を及ぼすようになっていくわけですが、その過程が維新・明治期の政治史と平行しているので、面白いところ。
 この本を読んで知ったのが、江藤新平が神道寄りの反キリスト教主義者で、黙雷の建白によって木戸孝允と一緒に教部省を作るために動いていたということ。江藤について色々書いている毛利先生はこの辺は触れてなかったんじゃないかなあと。
 結局、キリスト教は日本には大して広まらず、仏教は黙雷が求めた改革をなさずともキリスト教に対抗できてしまうわけですが、黙雷は自身の信念を曲げなかったので、時代に置いて行かれたようなところはあるようです。
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鉄勒京二

Author:鉄勒京二
当ブログは一介の歴史好きが読んだ本を紹介したり、書いた文章を公開したりするための場です。執筆記事は西アジア史関係が多いですが、読書は西アジアにこだわらず地域・時代を広く浅く扱っています。
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