近況・新刊情報と最近読んだ本など

 前回の近況記事から一月も間が空いてしまいました。この間、「始皇帝と大兵馬俑展」や「朝鮮時代の水滴」展を見に行ったりしています。
 兵馬俑展は大阪国立国際美術館での開催で、今回初めて訪れたんですが、あそこ、地下にかなり大きな展示スペースがあるんですねえ。初見ではちょっと驚きました。
 一緒に行った方の話では兵馬俑は現地ではガラスケースに入って展示されているそうですが、今回の展示では八体の兵馬俑が覆い無く細部まで観察できるようになっていました。個人的に面白かったのは銅製馬車でしょうか、窓の作りが面白く、是非これは実物を見てもらいたいと思います。
 図録はハードカバー・フルカラー200ページの大型本というなかなか立派なもの(買ったもののちょっと置き場所に困っていたりしますけれども)。
 なお、大阪での開催期間は明々後日の10月2日までです。

 「朝鮮時代の水滴」展の方は東洋陶磁美術館にて。特段陶磁器が好きなわけではないのですが、たまに気になる企画展があって見に行くと面白いものがあったりします。今回の展示では饅頭のような形の水滴(硯用の水差しです)がたくさん置いてありましたが、あれがインテリア的に格好いいかなと思ったり。
 展示を見て朝鮮でも文具マニアというのはいたんだなあと感慨にふけるひとときでありました。
 同日に大阪歴博の「真田丸」展にも行きたかったのですが、生憎火曜日休館だったのでまた後日ということに。どなたか付き合ってくださる方がいれば連絡ください。
 また、東洋陶磁美術館でチラシを見つけたのですが、大和文華館で10月8日から「呉越国」展が開催されるようで。呉越と言えば銭鏐は好きな武将なのですが、どちらかと言えば文化系の展示のようです。こちらも付き合ってくださる方がいればご連絡をば。

 さて、新刊情報。
 中公新書10月には呉座勇一『応仁の乱』。複数のファクターの事情がそれぞれに絡み合いすぎて何が何やらわからないのが応仁の乱ですが、果たして呉座先生が新書のページ数でどのようにまとめてくるのか。
 講談社からは氣賀澤保規『則天武后』が11月に学術文庫より。おそらく白帝社の中国歴史人物選の同タイトルの文庫化と思われます(同シリーズは良書が多いので他のものも文庫化してくれるとありがたいのですが)。同月の興亡の世界史シリーズ文庫版は小杉泰『イスラーム帝国のジハード』。
 メチエ11月にはミシェル・ロクベール『異端カタリ派の歴史 十一世紀から十四世紀にいたる信仰、十字軍、審問』。定価3100円というメチエにあるまじき値段設定になっていますが、相当分厚いのでしょうか……。
 吉川弘文館「人をあるく」シリーズ10月は早島大祐『足利義満と京都』、また「読みなおす日本史」シリーズには下出積與『木曽義仲』が収録されるようです。

 以下、最近読んだ本。
 

■佐藤信弥『周――理想化された古代王朝』
 昨年中公新書からは落合淳思『殷――中国史最古の王朝』という本が出ていますが、その続編的な位置付けで刊行されたようです。扱う時期は西周~東周の終わりまで(と、いうことは春秋時代・戦国時代もそっくり含むということに)。
 宮崎市定の西周抹殺論の否定から始まり、金文(出土した青銅器の銘文)や甲骨文に基づいた最新の研究結果を盛り込みつつ、視点を祭祀と軍事の二本立てにして周王朝の歴史を追っていきます。
 面白かった部分と言えば、儒家の礼制の体系化でしょうか。儒家は西周の礼制を理想とし、それを体系化したように思われていますが、実際のところ儒家の登場する時代に至るまでに西周の記憶・記録は薄れており、「当時の東周の礼制に彼らが西周のものと信じる要素を加えて復古的なものに仕立て上げ、体系化したもの」であった、と著者は述べています。また、ラストでは王莽が周の祭祀を復興したと自認していたと思しき事実について、とは言えどうやらそれは周の実態から離れ、実際のところは「「修復」というより「創造」」であった、という内容で結ばれています。
 実際のところ復元困難な過去の時代を理想化して現実と向き合う力に変換するという行為は、イスラームにおけるサラフィー主義にも見られますが、儒教にしろサラフィーにしろその後の展開を見ると功罪相半ばというところでしょうか。
 落合『周』に比べると少し難しい話が多いように思いましたが、じっくり取り組みたい面白い本ではあります。


■藤田覚『遠山景元――老中にたてついた名奉行』
 「遠山の金さん」の呼び方で時代劇でもおなじみのお奉行様の評伝です。江戸町奉行に興味があって読んだのですが、思いの外、冒頭で紹介されている遠山景晋(景元の父)の経歴が面白かったところ。永井家から遠山家に養子に入り、幕府の「学問吟味」という試験に主席の成績を収めてどんどん出世していき、旗本が務める役職の最高位のものの一つである勘定奉行にまで上り詰めたという人です。外交交渉のキャリアも努め、長崎奉行にもなっています。
 息子の景元は、時代劇ではおなじみですが、あまり教科書には出てきません(同じく名奉行として知られる大岡忠相が教科書に登場するのとは対照的)。というのは、景元は老中水野忠邦のいわゆる天保の改革に町人の側の立場から反対した人であるから、ということのようです。
 景元は質素倹約の強制や寄席の撤廃などを進めようとする忠邦に度々抵抗しています。この態度を通せたのは、景元が将軍の覚えがめでたい人物であったから、ということの模様。実際のところ、景元が北町奉行であった時に、景元と一緒に忠邦の政策に反対した矢部定謙は失脚ののち禁固処分、矢部家は改易という酷い憂き目にあっています(なお、気の毒なことに定謙はこの処分と処罰に抗議して絶食して死んでいます)。
 同僚がそんな目にあった後も景元は忠邦に反対し続けるわけで、そりゃあ町人たちから人気も出るよなあというところ。
 ただし、ここからが日本史リブレット人が日本史リブレット人である所以なのでしょうが、そもそも町人側に立ったのは景元の専売特許ではなく、住民の暮らしの安定・維持は町奉行の職務であって、その延長線上から町人側に立つ町奉行は景元だけではなかったことや、景元もあくまで幕府の役人であり、基本的に幕府の秩序から逸脱しなかったことが具体例を挙げて述べられています。ただ、少なくとも住民の暮らしが安定することが幕府の利益になり、景元が反対した天保の改革の一部政策はそれに反していると景元が考えていたことは事実と見てもいいのでしょう。


■藤田覚『近世の三大改革』
 上の『遠山景元』と同じ藤田先生の一冊。
 こんなタイトルですが冒頭から(享保の改革を除外し)「従来の三大改革論ではなく、いわば二大改革論で理解すべきだと主張したい」と述べています。要約すると、享保の改革は寛政の改革・天保の改革と異なり、幕藩体制の危機への対応ではなかった、ということの模様。
 享保の改革は幕府の資金源としていた鉱山が掘り尽くされたがゆえの収入増大策という面が大きく、幕藩体制の危機はまだ先の話だそうです。寛政の改革・天保の改革については、近世社会の構造変化への対応と、外患への対応がセットになっているとのこと。特に後者については、内政事情とセットで見渡すことによってわかりやすくなっています。
 私は学校では「三大改革」の文字が教科書に踊っていた世代の人間ですが、最近の教科書では三大改革という枠組みへの言及は減っているようで、それは昨今の(とは言えこの本も初版は10年以上前ですが)こういう流れを下敷きにしているようです。


■松尾晋一『江戸幕府と国防』
■木村直樹『長崎奉行の歴史――苦悩する官僚エリート』
 毛利敏彦先生の一連の著作で、幕末の佐賀藩について読んでいると、佐賀藩が長崎の防衛を担う長崎御番を福岡藩と一年交代で務めていた(ゆえに佐賀は外国通であった)という話が出てきておりまして、前々から少し気になっていたのですが、江戸時代の本を立て続けに読んで、遠山景晋が長崎奉行を務めていたということを知ったのもあり、長崎を中心とした江戸幕府の海防体制と長崎奉行について書いてある本を読んでみました。
 松尾先生の『江戸幕府と国防』は、幕藩体制下における海防について述べた本です。家光による鎖国体制の確立以降、ペリー来航までなんとなくオランダ船や唐船が来るくらいで日本の海は平和であったようなイメージが持たれているかもしれませんが(少なくとも私は持っていましたが)、実際のところ、単なるエピソードでは済ませられない外国船の入港があったり、密貿易の取り締まりが必要だったりと、帯の文句を借りると「「天下太平」、ではなかった」ということになるようです。
 幕府は鎖国の維持ということに関してはかなり時代が下るまであまり曲げるつもりはなく、頭が固いように思っていましたが、その鎖国の維持という目的を達成するための外国事情の収集や、外交折衝に関してはかなり柔軟な印象を受けます。
 一方、木村先生の『長崎奉行の歴史』は、幕府から現地長崎に派遣されていた長崎奉行(正しくは二名おり、一年交代で一人は江戸勤務、一人は在地勤務)に焦点を絞った本になります。上で紹介した遠山景晋も長崎奉行の一人ですが、長崎奉行として唯一まとまった記録を残している人だそうで、本書でも『長崎奉行遠山景晋日記』の内容の一部が紹介されています。
 長崎奉行が対応しなければならなかったのは、海防だけではなく、(長崎は幕府の直轄領なので)長崎の街の統治、貿易政策の実行、密貿易への対応、キリシタンの取り締まり……などなど多岐に渡ります。役得としての実入りはよく(著者の試算では少なめに見積もって年間三億円)、無事に勤め上げれば中央での出世も見込める役職ですが、一方で(現場と中央の板挟みと言ってしまえば今でもよく聞く話ですが)幕府と現地の利害が対立することもあり、幕府側の原則論と長崎での現実を磨り合わせてうまく乗り切らないと失脚ということにもなりかねず、また仕事も激務であったようです
 明清交代や鄭氏政権とオランダの対立、フランス革命とナポレオン戦争に伴うオランダの混乱など、幕府のあずかり知らぬところで起きた海外事情に振り回されやすい仕事でもあり(無論後手ながら幕府も情報把握には務めていますが)、そうでなくとも普段の激務という話になると、難しい役職であったのだなというところでしょうか。
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鉄勒京二

Author:鉄勒京二
当ブログは一介の歴史好きが読んだ本を紹介したり、書いた文章を公開したりするための場です。執筆記事は西アジア史関係が多いですが、読書は西アジアにこだわらず地域・時代を広く浅く扱っています。
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