新井政美『憲法誕生』


 副題は「明治日本とオスマン帝国 二つの近代」。著者はオスマン帝国とトルコの近現代史を研究している新井政美氏。
 
 本書はオスマン帝国憲法と大日本帝国憲法および、それをひっくるめた、もしくはその前提となる国家体制、社会秩序などの成り立ちを比較史的に分析した一冊である。著者の問題意識が奈辺にあるのかと言えば、帯に「近代化に成功した日本と、失敗したトルコ――それは本当か?」とある通りだ。
 著者はまず冒頭で研究史をさらい、「近代化に成功した日本と失敗したトルコ」が自明の前提となってしまっている事を確認する。要するに従来の問の立て方は「何故近代化の成否に差が出たのか」であった。他方、著者の狙いは近代化の成否という結果の評価を自明のものとせず、両国の近代化を比較することにある。要するに比較の中で「両国それぞれの近代化は成功したのか否か」を再度問い直そうというわけだ。

 憲政前史としてオスマン帝国側からはムスタファ・レシト、サードゥク・リファト、アーリー、フアト、ナームク・ケマル、そしてミドハトらが登場し、日本側では大久保利通、植木枝盛、井上毅、伊藤博文らが俎上に上る。いずれも有名人であるが、オスマン帝国側に関しては慣れない人には少し人名で混乱するかもしれない。とは言え、類似点と相違点は都度提示されていくので、読者としてはあまり苦にせず読み進めることができる。
 具体的にどういう比較がされているのかは本書を確認してもらいたいのだが、一つ面白かった部分を上げるとすれば、民選議院の位置づけの違いだろうか。日本においては時期尚早であり、混乱のもとだと思われていた民選議院は、オスマン帝国においてはむしろ少数派の意見をくみ取る調整弁として、諸問題の特効薬としての役割が期待されていたという。

 冒頭の問題提起に対する最終的な著者の結論は必ずしも歯切れのよいものではない(やはり以前のステレオタイプに回帰する面があるからだ)。とは言え、自明の前提とされていたことを問い直し、結論ありきではない議論を進めたうえでの結論という意味でなら、単なる焼き直し以上の意味があるだろう。
 さらに著者は「近代化」の「近代性」=「普遍性」について、オスマン帝国の知識人たちが十分にその恣意性を理解していたということを強調する。であれば、少なくとも彼らは盲目的にあるいは無邪気に近代化を選んだわけではなく、内外の要因を天秤にかけた上で選択したのだと言える。とすると、それは近代化原則主義ゆえに失敗したトルコと、伝統と近代の柔軟な折衷を行えた日本という比較が、近代化の成否に対する有効な分析ではないのではないか、とも指摘する。
 そこから先の展望については何も記されていないが、それは今後の課題というところだろう。

 ともあれ、オスマン帝国近代史の本としても読めるし、憲政前史としては日本史の本としても読むに足ることだろう。最初にある著者の目論見――オスマン近代史の展開過程を日本のそれと対置することで、近代日本を少し変わった角度から見る――からすると、むしろ日本史の本としてこそ読むべきではある。そういう意味では、オスマン帝国近代史に興味がある人だけでなく、日本近代史に造詣の深い人に読んでもらい、意見を聞きたい本だ。
 とは言え、管理人はどちらかと言えば前者の立場で面白く読んだので、興味があればとりあえず読む、という読書にもまた足る一冊であると言えるだろう。
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鉄勒京二

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