屋敷二郎『フリードリヒ大王』


 世界史リブレット人の一冊。副題は「祖国と寛容」。

 フリードリヒ大王は七年戦争での活躍もあり、近世ヨーロッパの君主としては日本でも知名度が高く、「君主は国家第一のしもべ」という言葉もよく知られていることだろう。プロイセンを列強の一角に押し上げ、彼が整備した地力あってプロイセンはドイツ統一を成し遂げることになる(とは言え、これは結果論であるのだが)。

 本書ではまず彼の属したホーエンツォレルン家とプロイセンの前史を述べた後、彼の人生の記述を子供時代からはじめる。このあたりを読んでいると、非常にこじれていた印象のある軍人王とフリードリヒの親子関係が、王家にあったがゆえである部分も相当大きかったのではないかと思われる。一般に、軍人王が無骨で実学を愛したがために文人・芸術家肌のフリードリヒと反りが合わなかったというイメージが強い。しかしながら、軍人王としては、成り上がりの軍国であるプロイセンにおいて、内政・外交・軍事で隙を見せるような人間は王太子にふさわしくないと思っていたのだと著者は述べる。この著者の見方を裏付ける出典等は特に注記されていないのだが、軍人王の主観が奈辺にあったかはさておき、周囲の状況を俯瞰した時、それは事実であっただろうと思われる。
 フリードリヒの逃亡未遂事件や、その手引をした彼の親友カッテ少尉の刑死についても詳述されており、こと外交と政治が絡む以上カッテの処刑に関しては軍人王としても苦渋の決断であったのだろうと考えられる。
 フリードリヒがヴォルテールに宛てた手紙には、地方巡察を経て軍人王の功績を知り、それを讃えたい旨書かれていることが紹介されており、決して単に仲が悪いだけの親子ではなかったのだろうと思わせられる。

 フリードリヒが王として即位してからは著者の専門である法制史関連の記述が多くなるが、オーストリア継承戦争や七年戦争についても一定程度ページが割かれており、またフリードリヒの著作『反マキアヴェリ論』と彼の政策との関係についても一考されている。著者によれば、『反マキアヴェリ論』ではフリードリヒの正戦論が展開されており、これに則るならば、彼の開戦は彼の主観としては矛盾なく正当化できるという。
 さらに、これはフリードリヒ以前からのプロイセンの伝統でもあるのだが、彼の国の宗教的なものを含む「寛容」が具体的にどういうものであったか(実際のところ上から押し付けられる面もあった)、そしてどう捉えられていたかなども紹介される。
 基本的には読みやすいがところどころ「法益」や「自然法」などの基礎法学関連の用語が何の説明もなく出現するのでそこだけは注意して読みたいところである。
 総じて、フリードリヒ大王とそれまでのプロイセンについて知るという意味ではページ数も値段も手頃なところであり、適した本ではないだろうか。
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鉄勒京二

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