和田春樹『レーニン』


 世界史リブレット人の一冊。副題は「二十世紀共産主義運動の父」。
 
 スターリン批判によって早くからその批判的考察が可能となったスターリンに比べると、レーニンについてはあまり悪辣なイメージは大きくないかもしれない。あの時代にあって、必ずしも強権・圧政だけを評価軸とするわけにはいかないのは確かであるが、では最近の研究結果も含め併せて考えた時にレーニンの実像はどのようなものになるのだろうか。本書は基本的に年代順にレーニンの事跡を追い、一箇所にまとめてレーニン評を置くということはしていないので、評価は読者に委ねられることになる。

 さて、レーニンの生涯であるが、まずは生い立ちから語られている。彼は生まれながらの革命家というわけではなく、反りの合わない兄がマルクスを読んでいる時、となりで寝転がってツルゲーネフの小説を読んでいたというエピソードが紹介されている。しかし、その兄が皇帝暗殺未遂事件の犯人の一人として処刑されることになり、学生時代、その兄の関係者として目をつけられ退学処分となると、徐々に革命思想を育んでいくこととなる。彼はしばらく弁護士補として働いていたが、この仕事をやめて職業革命家として生きることを決意する。レーニンが職を捨てて革命に生きるという事は、家族にとっては金銭面でも精神面でも負担を強いたはずだが、母はこれを支持した。著者はこれが当時のロシアでは珍しいことではなかったと述べている。
 横手慎二氏の『スターリン』でも述べられていたが、横手氏によれば、当時のロシアにおいて革命家という存在は市民から遊離していたというわけではなく、政治に関与できる者が極めて少数であったこと、はっきりと革命を支持しないまでも政権に不満を持つ者がロシアのインテリの中には少なくなかったことなどから、革命家は支援や理解を容易に得ることができていた。
 レーニンもこのような環境の中で革命家として生きていたということだろう。

 以降はレーニンの思想の変遷についても語られている。自身の思考力を鍛えなおそうとヘーゲルの『大論理学』を読んでみたり、ブハーリンの論理を批判する中で自身の思想を深めていったことが語られている。レーニンとブハーリンの思想上の相違は、接近はあったもののレーニンが死去するまである程度わだかまっていたようだ。

 十月革命以降の展開は政治的なものであれ軍事的なものであれ闘争に彩られている。このあたりを読むと、決してレーニンの手が白いわけではない事がわかる。一党独裁の成立過程、教会の弾圧なども述べられ、そしてレーニンの晩年へと至る。
 著名なレーニンによる後継者たちへの評価については著者は「いい加減なものであり、政治的には愚かなメモ」と斬り捨てている。しかしながらこれにスターリンは激しく反発し、レーニンとの対決姿勢を明らかにしていた。その後の展開はレーニンの死によって途絶えることになり、本書の記述も彼の遺体が保存されることになったという事実を示して終わる。

 全体を通じて、やはり著者のレーニン評は控えめであるが、レーニンの生涯を歴史の中に位置付け、ある程度詳しいところまで見るという点においては手頃であると言える。レーニンは毀誉褒貶ある人物だが、その評価を考えるにあたって、ひとつ参考にすべき一冊ではあるだろう。
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鉄勒京二

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