マーク・マゾワー『バルカン』


 副題は「「ヨーロッパの火薬庫」の歴史」。
 
 新書レーベルとしては珍しく中公新書はたまに訳書が収録されるが、本書もその一冊である。著者マーク・マゾワーは近現代史の専門家で現在コロンビア大学に所属しているようだ。

 バルカン半島が主題で、副題に「ヨーロッパの火薬庫」という語があることから、近現代史メインの本かと思ったのだがさにあらず。まずはバルカンの地理学的分析が行われている。山塊の多い地域であり、移動が困難であるため内陸を通じた接触が困難であり、沿岸部に関してはむしろバルカン内陸部よりも海を通じ半島外とのコミュニケーションの方が密であったという。また、各地の気候的な条件などから農業その他の産業の特性についても語られている。
 歴史の記述についても全体の2/3あたりまではオスマン帝国支配時代が扱われており、例えばユーゴ紛争などは末尾で少し触れられるだけである。オスマン時代、バルカンの人々の帰属意識が民族ではなく宗教にあったというあたり、オスマン帝国史を齧った人間であればすんなり頭に入るだろう(なお一時期「制度としては存在していない」という説が主流になっていたオスマン帝国の宗派別統治制度であるミッレト制だが、少なくとも18世紀中頃以降にはやはり存在したという見解が出てきている)。
 本書はバルカン各国史の総体というよりも、バルカンという地域の歴史として見ている傾向が強い。国民国家成立前のオスマン帝国支配時代が大部分を占めており、またその当時バルカンの人々に民族意識が存在しなかったことに鑑みれば、むしろ本書のような書き方の方が妥当であると言えるだろう(このあたり、長谷部『オスマン帝国治下のアラブ社会』と読み比べてみると面白い)。訳文は読みやすいのだが、上のような特徴があるのである程度地理・歴史の予備知識があったほうが分かりやすいかもしれない。

 本書ではバルカンに与えられたマイナスイメージ、特に「暴力の坩堝」であるという印象が、必ずしも根拠のあるものではないことを強調している。そのイメージが表出しはじめるのが近現代である以上、近現代史を専門とする著者であっても、近現代史の前提となる前近代のオスマン帝国時代から説き起こすことは必然だったのだろう。
 著者の目論見は一定程度成功していると思われるが、なかなか予備知識がないと読み下すのに難解かもしれない。とは言え、重要な一冊であることに変わりはなく、より多くの人に読み、かつ理解してもらいたいものである。
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鉄勒京二

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