池田嘉郎『ロシア革命』

 
 ロシア革命をタイトルに冠している一冊だが本書の主人公はレーニンやボリシェヴィキではない。二月革命で君主制が倒れ、十月革命でボリシェヴィキが権力を奪取するまでの間、曲がりなりにも西欧諸国と並ぶ(ボリシェヴィキのように「追い越そう」としたわけではない)制度・体制を作り上げようとした臨時政府が本書の記述の中心となる。ゆえに、二月革命から話が始まり十月革命で締められるものの、それは革命の完成ではなく、臨時政府の終わりであり、本書の副題は「破局の8ヶ月」なのである。
 
 今年はロシア革命から100年にあたる。ソ連が記憶にない世代が成人している今日このごろだが、ソ連について、またロシア革命についての評価は資料公開などもあり活発化している部分もあるようだ。 
 巷間、帝政ロシアを扱った本はあるし、ソ連を扱った本も多い。しかし、革命期の話となると後にソ連が成立するという事実に引きずられて臨時政府の扱いはあまり詳細でないことが多い。この点、本書は最近の研究に依拠しつつ記述が進められており、興味深い。本書は(十月革命によって潰えた)二月革命の可能性について一定の目配りをしており、単に十月革命によって完成される革命という見方は取っていない。
 また、「破局」とは言え単なるボリシェヴィキの扇動によって臨時政府が倒れたという反ソ史観ではなく、歴史的にロシアに形作られていた階層の分化(著者は「エリート社会と民衆社会との懸隔」という言葉で表している)が響いているのだという見方を取っている。著者は和田『歴史としての社会主義』と石井『文明としてのソ連』の名前を挙げ、この二つが20世紀の同時代的な文脈、つまり横軸の中で革命とソ連を評価しているのに対し、本書ではロシア史という縦軸の中に革命を位置付けたいと述べている。このエリート社会と民衆社会との懸隔という視点はそこから導き出される。

 本論は概ね時系列順に話が進んでいくが、オクチャブリスト、カデット、トルドヴィキ、エスエル、メンシェヴィキ、ボリシェヴィキといった右翼から左翼までの各党・各派が、臨時政府、ドゥーマ臨時委員会、そしてソヴィエトでいかにしてやり取りを繰り広げており、いかなる行き違いがあって(あるいは一部については行き違いなどなくとも既定路線として)十月革命へと至ることになったのか、ソヴィエトに視点を偏らせることなく記述している。
 本書を読む限り、自由主義者にとって不運だったのは二月革命が偶発的(少なくとも、各政党が組織したものではなかった)に始まり、また二月革命から十月革命までの8ヶ月間は相変わらず戦争は続いており、事態が決して掌握できていなかったこと、そして何よりエリートを中心とする自由主義者たちが民衆に言葉を届けるチャンネルを持っていなかった事だろう。この点に関しては、事態を動かすことで掌握しようとし、また民衆への訴えかけも存分に行えたボリシェヴィキに一日の長があったというわけだ。

 個人的に面白かったのは第5章を「連邦制の夢」と題して(あまり頁数は多くないが)帝国の辺境(あるいは地方)であった各地での領土自治や文化自治の要求に目が向けられているところだ。このあたりは山内昌之氏の『スルタンガリエフの夢』でも触れられていたが、首都だけで事態が進行していたわけではないということを分からせてくれる。

 本書は革命の展開について詳細かつ平易に知ることができる良書だが、革命後の展開については本書は禁欲的でばっさりカットしている。松戸清裕『ソ連史』や横手慎二『スターリン』が最近の研究成果を反映しており、かつ読みやすい本だろう。併せて読むことをおすすめしたい。
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鉄勒京二

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