長谷川修一『聖書考古学』
旧約聖書に記される歴史叙述はどこまで歴史上の事実と見なしうる蓋然性が高いのか。本書では考古学者の長谷川修一氏が考古学分野からその問いに切り込んでいく。
順序としては聖書に関する基礎知識および本書を読むための前提(1章)、聖書考古学の概要およびその進展の歴史(2章)、そして旧約聖書からいくつかのエピソードを拾ってその考古学的検討(3~6章)、そして現状と今後の展望(7章)という体を取る。
紹介され検討されるエピソードは時代順で、周辺地域の状況なども含めて解説がされており、高校世界史程度の予備知識があれば読めるだろう。
旧約聖書の内容となると、キリスト教徒、ユダヤ教徒の両方にとってセンシティブな話題であり、その史実性の検討を行った内容を記述するのには注意が必要だろう。著者はあくまで現状の考古学の進展状況下で何が言えるかというところまでで記述を止めており、その意味においては非常に禁欲的である(もっとも、歴史学であれ考古学であれ常に再検討にさらされる仮説の体系であるのだから、断言ができないのはある意味では当然のことだ)。
例えば、出エジプトは旧約聖書の中でも著名なエピソードであるが、エジプトの文献には該当する記録が残されておらず、歴史的事実であると認定することは難しい(つまり、モーセは今のところ歴史上の人物とはいえず、神話上の人物ということになる)。しかし著者はこれを直ちに退けることはせず、ヒクソスと出エジプトを結びつける見解を紹介しながら「出エジプトの物語が、後のイスラエル人の祖先の一部が遠い昔に体験した事件の歴史的記憶を何らかの形で反映している可能性は無視できない」としている。
個々の事例を見ていくと、考古学とは言いながら、碑文を扱う部分は歴史学的でもあるし、理系学問も含めて学際的な検討が行われている事がわかる。特にイスラエル王国時代に入ってからは遺物・遺構が多く、外部勢力(アッシリアやハマト王国など)の碑文も検討の素材となり、多面的な検討が可能となる。このあたりは考古学の面白いところだろう。
全体を通じて煮え切らない部分もあるが、それは著者の誠実さだと受け止めたい。旧約聖書時代のレヴァントに興味があるのなら一読をおすすめしたい。