近況・新刊情報と最近読んだ本など

 寒波が列島を襲っていますが皆さんいかがお過ごしでしょうか。こちらは雪でえらいことになっています。まあ外出できないと積読の消化が捗るのでそれはそれでいいんですが。

 中央公論新社の3月分新刊の情報が出ています。新書については珍しくこの月はこのブログとしてはあまり注目すべき本はないかなあという感じですが、文庫に西牟田靖『本で床は抜けるのか』というタイトルが挙がっていて他人事じゃねえなあ……みたいな気分に。
 さて、それ以外の新刊情報。
 星海社新書3月、『周』の佐藤信弥先生の『中国古代史研究の最前線』。日本史以外の歴史本がこのレーベルから出るのは珍しい気がしますが、著者を見る限り安心して読めそうです。
 山川の世界史リブレット人3月は松浦義弘『ロベスピエール――世論を支配した革命家』。

 以下、最近読んだ本。
 
 

■神田千里『島原の乱――キリシタン信仰と武装蜂起』
 事情があって読書。
 島原の乱について本を読むのは(宮本武蔵関連でちょっと触れられていたのを除けば)初めてで、乱の経過や武家諸法度によって諸大名の身動きが取れていないタイミングこそが一揆側の勝ちの目であった、というあたりは興味深く読んだのですが、たぶんこの辺は他の本でも触れられていそうな雰囲気です。
 それよりも、著者の見解として興味深いのは、島原の乱が従来言われていたような「苛政と重税に対する蜂起」ではなく、やはり宗教戦争の面が強いものであろう、とする論理展開でしょう。
 島原の乱がか弱いキリシタンが強大な江戸幕府に踏み潰された歴史の一コマかというとそんなことはなく、九州のキリシタン大名支配時代には仏教徒が弾圧されていたり、キリスト教への強制改宗が行われていたりという前史から踏まえ、乱の最中にも同様のことが行われており、仮に苛政と重税に対する蜂起であれば仏教徒らともその意見さえあえば協力できるはずであり、寺を焼き討ちしたり強制改宗を迫ったりする必要はないはずである、と言われるとなるほど確かにその通り。これは中世の宗教一般について造詣の深い神田先生ならではの考察なのではないでしょうか。
 また、一揆軍と鎮圧側の軍勢の身分構成を分析した部分では、どちらも農民が大いに動員されていた、というようなことも記されており、このあたりは後に平井先生が『兵農分離はあったのか』でまとめているところと通じるものがあります。


■河内春人『倭の五王――王位継承と五世紀の東アジア』
 五世紀に中国に遣史したことによって中国の正史に名が残る五人の倭の王たち、いわゆる「倭の五王」ですが、記紀におけるどの天皇と対応するのか古くから議論があります。本書は、その議論と記紀の記述からひとまず離れ、中国史料や朝鮮半島の史料などから裏付けられる東アジアの国際情勢の中に、日本の考古学的知見から判明しているヤマト政権の姿を位置づける、という手法を取っています。
 中国史において魏晋南北朝のうち魏を除く時代はあまり日本では人気がないのですが、中国が分裂しているということはそれだけ高句麗、百済、新羅といった半島の国家や倭国にとっても外交の相手が増える(かつ、中国側の勢力が相対的に小さくなり各国が自律的に動ける余地が増える)ということで、ある程度視野を広く見ると非常に面白い時代であります。
 記紀との整合については最後の方で触れられていますが、どうも記紀の記述の信用できなさ(完全な嘘ではないものの、虚実入り交じる)があり、同定するのは不可能であろう(武王が雄略天皇であろう、という通説も疑問が残る)というのが著者の立場のようで、他の説についてあまり知識がないのですが、少なくとも本書を読む限りでは著者の説が説得的であるように思います。


■斎藤慶典『「東洋」哲学の根本問題――あるいは井筒俊彦』
 少し前に池内恵先生が「井筒俊彦の主要著作に見る日本的イスラーム理解」と題する文章で井筒俊彦のイスラーム理解はあくまで特殊井筒的な関心により切り口が彼特有のものだ、との旨を論説していてそれを読んだわけですが、じゃあその特殊井筒的な関心っていうのは何なのさ、という点についてはきちんと分からないままでした。
 井筒俊彦というと、未だにイスラーム思想史では基礎文献として参照されるわけですが、本書はイスラーム思想研究者としてではなく、イスラーム思想を含め、哲学一般を視野に収めてそこに何が見えるかを考えた哲学者としての井筒俊彦を取り扱っています。このあたりが特殊井筒的な哲学への関心だと言えるでしょう。「哲学一般」と書きましたが、著者の斎藤先生は井筒が「東洋」哲学という語を使ったことを、あくまで西洋哲学のみが哲学とされてきた事に対するアンチテーゼであり、実際に井筒がロシア文学や古代ギリシア哲学を踏まえていることを指摘し、その内実が哲学一般であるとしています(ゆえに「東洋」が括弧付き)。
 きちんと理解できたかは怪しいのですが世界の総体としての存在が分節されることによって「私」の眼前に立ち現れている、という理解から、未分節の存在に至り、分節された世界に還ってくる、という道筋を跡付けようとしており、その上で論を展開する事を、古今東西の哲学を同一地平上に並べてやろうとしていたのが井筒の関心、という事の模様です。
 細かい話は本書を読んでくれ、ということになりますが、著者の斎藤先生が井筒のその先へと展開しようとしている議論も(斎藤先生の専門が現象学なので多少は私に馴染みがあることもあるのかもしれませんが)、比較的読みやすくわかりやすい本でした。


■P・R・ハーツ『ゾロアスター教』
■メアリー・ボイス『ゾロアスター教――3500年の歴史』
 ゾロアスター教に関する情報はほぼ青木先生の本経由でしか摂取していなかったんですが、青木先生もだいぶ立ち位置の特殊な研究者なのようなので何か他の本も読むかということで二冊ほど読んでみました。
 ハーツの方は割と読みやすい本で、荒ぶる神を鎮撫する宗教が主であった時代に、宗教と倫理を結びつけた事自体がゾロアスターによる革命であった、と言われるとなるほどそうか、というところ。また善悪二元論を取るがゆえに人間の主体的選択がそれほどアクロバティックな理屈を展開しなくても重視されうるのは、アブラハム系一神教と違って面白いところかなと。
 やや物事をゾロアスター教に好意的に見る嫌いはありますが、最初に読む分には向いている良い本でした。
 ボイスの方は少し冗長ですが、ゾロアスター教以前のアーリア人の信仰をインドの神話などとも突き合わせて考察しており、また後ろ3/1ほどはサーサーン朝滅亡以後、つまりゾロアスター教が国教の座から滑り落ちて以降に割かれており、このあたりが特徴的かなと思われます。
 とりあえずこの二冊と青木先生の『ゾロアスター教』を読んでおけば基礎知識は得られるのではないでしょうか。


■波戸愛美『アラビアン・ナイトの中の女奴隷──裏から見た中世の中東社会』
 ブックレット「アジアを学ぼう」シリーズは山川の世界史リブレットやかつての東洋書店のユーラシア・ブックレットよりも薄いシリーズですが、その分マイナーな分野も取り上げてくれる印象があります。
 本書は比較的民衆の姿が見えやすい裁判史料などでさえあまり登場しない女性の奴隷について、千夜一夜物語の描写からその実態に迫ってみよう、というテーマの一冊。むろん千夜一夜物語はお伽噺なわけですが、ある程度現実の見方が反映されている部分もあるので、そのあたりから歴史上の事実を抜き出せないか、ということの模様。
 どうしても物語を扱う以上、大雑把な把握しかできない上に史料の少なさが如何ともしがたい部分はあるわけですが、佐藤『マムルーク』や清水『イスラーム史のなかの奴隷』などと併せて読むことによって理解が深まるところはあるのではないでしょうか。
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鉄勒京二

Author:鉄勒京二
当ブログは一介の歴史好きが読んだ本を紹介したり、書いた文章を公開したりするための場です。執筆記事は西アジア史関係が多いですが、読書は西アジアにこだわらず地域・時代を広く浅く扱っています。
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