近況・新刊情報と最近読んだ本など

 気がついたら紹介を書いてない本が6冊も溜まっていましたが、今年はこれで計48冊になるので年間100冊は突破できそうなペースです。もちろん、数だけではなく内容の精読と、すぐ読めない厚い本を読むことというのも大事ではあるのですが。

 さて、新刊情報。
 岩波新書7月、清水克行『戦国大名と分国法』。清水先生の本はどれも面白いのでこれも期待できそうです。
 ちくま新書7月からは岡本隆司『世界史序説――アジア史から一望する』。岡本先生の本なので雑なものにはならないでしょうが、なかなか大きく出たなというタイトルです。『宗主権の世界史』あたりを引き継いだ内容になるんでしょうかね。
 同じくちくまから文庫にはミカエル・ロストフツェフ『隊商都市』が収録される模様。40年前に新潮選書で出ていた本ですが、どういったわけかこのタイミングでの文庫化となりました。

 以下、最近読んだ本。
 

■大石泰史『今川氏滅亡』
 著者の大石先生は大河「おんな城主直虎」の時代考証を担当されていた方。大河ドラマでは今川氏真が出突っ張りで割といい味を出していました(が、どうやら大石先生は氏真の描写にはちょっと不満が残っているようで本書でもこぼしています)。
 「滅亡」というタイトルながら、氏親から氏真までの戦国今川家の通史本です。300頁超とそこそこの厚さがあるんですが、一次史料の評価などからかなり微に入り細を穿つ話が多く、勉強にはなりましたがなかなか読むのに難儀しました。
 タイトルと関わる滅亡の原因という話になると、大石先生の見解では「家中」の入れ替わりが激しすぎ、特に相手方と取次の信頼関係をある程度時間をかけて築いていかねばならない外交のような分野では年配の家臣の不在が大きく響いた、という論理展開になっています。5年ほど前に今川義元の人物叢書を読んだっきりで情報を追っていないので今川氏について詳しいわけではありませんが、これは確かに説得力があろうかと思います。


■岡本裕一朗『フランス現代思想史――構造主義からデリダ以後へ』
 小田川大典先生がTwitterで「現代思想とは何ですか」と学生に聞かれたら本書と、『フランクフルト学派』(これは大分前に既読)、冨田『哲学の最前線』(こちらは未読)を勧める、と書いてらしたので積読から引っ張り出して読んでみました。
 冒頭ではソーカル事件について触れられていますが、ソーカルたちも哲学や人文科学一切を否定しようとしているわけではなく、むしろその重要性については認識している、と主張しているところから、フランス現代思想において、ソーカルらが批判したようなジャーゴンの乱用を取り除いた時、フランス現代思想の核となるようなものを取り出せるのではないか、という問題意識のもとに話が進んでいきます。
 大御所(レヴィ=ストロース、ラカン、バルト、アルセチュール、フーコー、ドゥルーズ=ガタリ、デリダ)の重奏する流れを追った後、英雄亡き後のフランス現代思想について概観する、という構造になっていてそういう意味では初心者向けのようです。ただ、流れをなぞるだけではなく著者自身の大御所各人への評価も折に触れて書き込まれているのでそのあたり色々考える材料になって面白いところ。
 問いに対する最終的な結論としてはフランス現代思想とは、「近代を問い直し、それとは別の可能性を構想する思想」、「近代批判の思想」である、というのが著者の主張。ただ、例えばフランクフルト学派などから区別されるフランス現代思想に独自のものは何かと言えば(これをソーカルは批判するわけですが)「哲学的な論考のなかに「前衛的な芸術や文学」のスタイルを導入」したことであると説明しています。著者の見立てでは、それは生き残りのための戦略であり、「基本的にはスタイルの問題として割り切る」ことを読者に勧めています。一般の人を巻き込んで思想の流行を形作ったのは、このスタイルのおかげでもある、とのこと。
 確かに同じ難解な近代批判でもクソマジメなフランクフルト学派に対し、フランス現代思想は少しくなりともオシャレなイメージがあるところは否定し難く、著者の言にも一理あるのかなあと思います。


■マーティン・ジェイ『アドルノ』
 上でフランクフルト学派について触れましたが、そのフランクフルト学派第一世代をホルクハイマーと並んで代表する哲学者・思想家であったのがテオドール・アドルノです。本書のカバー袖の文句では「フランクフルト学派の驍将」と表現されており、私はミーハーなのでついついカッコいいと思ってうっかり読み始めてしまったわけです(もちろん、ここ最近関心を持っているハーバーマスとの絡みもあるんですが)。本書を読むとアドルノの思想の展開は冷戦の中、1968年へと至る時代で行われたもの(本人は69年に亡くなっています)で、マルクス主義とフロイト心理学の接続など、かなり時代背景の影響があることが分かります。
 本書の言葉を借りるとアドルノは「伝達を容易にするためなら、自分が伝えようとしていることの正確な実質を損なってもよいとするような連中を攻撃」するような御仁で、難解さをむしろ良しとしていたところがあり、本書のような「分かりやすさ」を意図した解説を書くことにはある種のうしろめたさが伴うと著者も書いています。……が、(著者の意図通り分かりやすいという評判であるにも関わらず)アドルノの思想というのはなかなか難物で、どうにも先にマルクスとフロイト(加えてベンヤミン)を勉強した方がいいような気がしてきました。ある思想家について学ぶと、先に勉強しておいたほうがいい思想家というものが出てくるのは独学やってると毎度のことなのですが、まあ分からないという事実と、どこが分からないかということが分かるのはそれはそれで進歩であると思っておくことにします。
 とは言え、アドルノの文化批評、音楽批評のあたりは関連する予備知識があったこともあって読みやすく、面白かったところです。上でフランス現代思想が前衛的な芸術や文学の手法を取り入れたと解説されていると書きましたが、アドルノはアドルノで芸術家気質のところがあり、ただそこにも(容易に民族的な気質に還元するのも良くないのですが)ドイツ的なマジメさが滲んでいるように思います。
 

■一ノ瀬正樹『英米哲学入門――「である」と「べき」の交差する世界』
 こんなタイトルですが英米哲学の入門書では「ありません」! フランス現代思想やフランクフルト学派などを勉強しつつ、英米哲学も勉強しておきたいなあと思ってこれまた積読から引っ張り出してきたんですが、タイトルに騙されました。ただ、内容が分かりやすい上に面白い一冊です。
 著者の言葉を借りると、「英米哲学を主な素材とした哲学入門」とのことであり、同じくちくま新書から出ている戸田山先生の『哲学入門』に(扱っている主題は全く違いますが)スタイルは近いように思います。
 ヒュームのギロチンと呼ばれる有名な原理がありまして、基本的に「~~である」という事実から「~~べき」という規範は導けない、というものなのですが、本書ではこの「である」と「べき」を素材にして議論していくという形を取ります。
 ヒュームやバークリなどの認識論が前段にあり、「である」と「べき」にどう関係しているのかちょっとよく分からないまま話が進みますが、「である」を認識するということがどういうことか、という部分が後段に関わってくるということが徐々にわかってきます。後段ではまさに「である」と「べき」の議論を行い、因果論や責任論にも踏み込んでいきます。
 著者自身は「である」と「べき」の結合は場合によって濃淡のあるグラデーション状の結合を持っていると考えているようで、ヒュームのギロチンで認識が止まっていた私としては非常に勉強になる一冊でした(本筋とは関係ないんですが、突然筆者の足利尊氏語りが出てくるので思わず吹き出す部分も)。
 

■加藤節『ジョン・ロック――神と人間の間』
 高校倫理で習って以来ロックについては全く触れてこなかったのですが、個人的には近代を準備した思想家であり、王権神授説の否定や政教分離を主張したためにロックにはかなり世俗的なイメージを持っていました。ところが本書によると、最近のスタンダードなロック像はむしろキリスト教の強い影響化にあるものだとのこと。
 ロックが王権神授説を否定し社会契約説を取ったのは、人間が神の義務を果たすためには自由が必要であり、そのためには王権神授説のような王と奴隷に二分してしまうような思想は相応しくないとしたからであり、一方、寛容論・政教分離論にしても自律的な信仰こそが信仰と呼ぶに相応しいのであって、政治の介入によって強制された信仰は(その内容が望ましいものであったとしても)信仰と呼ぶに値しないと考えているから、とのこと。
 また、ロックの哲学が認識論に振れているのは、神に由来する自然法をどう人間が知り得るかという問いから発しているものであるとも説明されています。
 一章はロックの生涯と時代背景について述べられていますし、ロックの思想の入門書としての面と、ロックの評伝としての面とが両立している上に割と読みやすい良書でした。


■ピーター・P・トリフォナス『バルトと記号の帝国』
 歴史学と物語論の問題は日本では野家啓一先生や遅塚忠躬先生がしておられますが、本書は文芸批評家であったバルトの日本に対する記述を材料に、バルトの歴史家としての側面を問いかけています。ポストモダンブックスシリーズにはちょいちょいあるようですが、解説の日本の先生が本文に対して厳しいことを言う傾向が見て取れます(訳者と解説が別の人ということもあるのでしょう)。ただ、本書の解説、小倉先生の場合は本文の足りない部分を補完する形になっています。
 歴史家にとって過去とは時間的な他者であり、バルトにとっての日本とは空間的な他者でした。その他者に対する記述という面から、バルトの表象論において、歴史家の歴史叙述とバルトの日本叙述を対置させる方法を取ります。
 正直本文にしろ解説にしろ分量が足りていない感はあるのですが、ヘイドン・ホワイト以前のポストモダンの歴史学への影響の契機としてバルトを見る、という点では面白い本だったと思います。
プロフィール

鉄勒京二

Author:鉄勒京二
当ブログは一介の歴史好きが読んだ本を紹介したり、書いた文章を公開したりするための場です。執筆記事は西アジア史関係が多いですが、読書は西アジアにこだわらず地域・時代を広く浅く扱っています。
当ブログの内容を雑誌・書籍等にご利用されたい場合はご一報下さい。
管理人への連絡は下記メールフォームか拍手でどうぞ。

検索フォーム
カテゴリ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

アクセスカウンター
リンク
月別アーカイブ