センター試験をネタにホラズム・シャー朝の滅亡について考える

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
 さて、世間ではセンター試験が行われたようで、受験生の皆さんはお疲れ様でした。私は毎年趣味で世界史Bを解いているのですが、今年は近現代史の問題が多かったようで、前近代に偏りがちな人間としては少し苦戦したので勉強の必要性を感じているところです。
 それはそれとして、試験内容として今年は以下のような問題が出題されました。

2019センター
(2019年センター試験、世界史B、p. 32より引用)

 モンゴル帝国を主題とした問題で、チンギスが題材になっているものです。問題の本文はチンギスという人物の権威化、いわゆるチンギス統原理の形成について述べられており、なかなか面白い内容になっているのではないでしょうか。
 ただここで問題にしたいのが問5です。ワールシュタットの戦いでモンゴル側を率いたのはバトゥ(直接分隊を指揮したのはバイダル)、大都を都としたのはクビライ、チャハルの出現は北元のダヤン・ハーン以降、ということで消去法を取れば正解は①ということになりますが、さてチンギスはホラズム・シャー朝を倒したのでしょうか?

(以下、長文になるので折りたたみます)
 
 簡単に事実確認をしておきますが、1218年にホラズムのオトラル総督だったイナルジュクが商人使節団を殺害したいわゆるオトラル事件をきっかけにチンギスが征西を始めます。1220年にブハラ、サマルカンド、オトラルが相次いで陥落し、当時のホラズムのスルターン、アラーウッディーン・ムハンマドはカスピ海の小島に逃れ、ここで息子のジャラールッディーン・メングベルディーにスルターン位を譲って亡くなります。
 アラーウッディーンの跡を継いだジャラールッディーンはチンギスに追撃され、1221年夏にインダス河畔で直接チンギスと戦うも、これに敵せずインドへと逃れます。この後、チンギスは中央アジア方面へ帰還し、1227年に陣没しました。

 さて、その間のジャラールッディーンですがモンゴル勢力が去った後、1225年にはタブリーズに入ってイル・デギズ朝を滅ぼし、グルジア遠征においてグルジア王国の首都ティフリースを征服しています。
 この後、アイユーブ朝やルーム・セルジューク朝と関係を悪化させアイユーブ朝・ルーム・セルジューク朝連合軍とヤッス・チメンで戦い大打撃を受け、チンギスの跡を継いでいたオゴデイの派遣したタマ軍に追撃されているさなかにディヤルバクルで地元のクルド人に殺されます。これが1231年のこと。

 さて、ホラズム・シャー朝が滅びた時期を検討してみましょう。まず、種々の書籍の記述を確認します。

①岩波書店の『岩波イスラーム辞典』の「ホラズムシャー朝」の項目(執筆は岩武昭男氏)でも、平凡社の『新イスラム事典』の「ホラズム・シャー朝」の項目(執筆は清水宏祐氏)でも、1231年滅亡説を取っている。

②山川出版社の永田雄三[編]『西アジア史 Ⅱ イラン・トルコ』の「トルコ民族の活動と西アジアのモンゴル支配時代」(執筆は井谷鋼造氏)には「1231年逃亡先のディヤール・バクルで最後のホラズムシャー、ジャラール・アッディーンは殺害された」と記されている(p. 157)。なお、巻末の年表では1231年滅亡となっている。

 以上から定説としては1231年に滅亡、ということで問題ないでしょう。
 実際、ジャラールッディーンは上で書いた通りインドから西アジアへ帰還した後に単なる流軍ではなく支配圏といえるエリアを確保していますしイブン・アル=アシールの『完史』などを見ても当時彼が自身の領土を持っているとみなされていたことがわかります。
 ここから言えるのは、1221年のインダス河畔の戦いで直接的にホラズムシャー朝が倒れたとは言えない、ということです。

 チンギスの死からジャラールッディーンの死までは4年ほどありますし、タマ軍を直接派遣してきたのはオゴデイ、またジャラールッディーンの勢力の衰退の要因となったのはアイユーブ朝とルーム・セルジューク朝による連合軍との戦い、ということで、無論ホラズムシャー朝の滅亡にチンギスの影響は大きいものの、チンギスがホラズムシャー朝を倒した、と言い切ってしまうのはグレーではないかなあ、というのが今回の結論です。

■参考文献
岩武昭男「ホラズムシャー朝」『岩波イスラーム辞典』、岩波書店、2002
清水宏祐「ホラズム・シャー朝」『新イスラム事典』、平凡社、2002
永田雄三[編]『西アジア史 Ⅱ イラン・トルコ』、山川出版社、2002
井谷鋼造「ルーム・サルタナトとホラズムシャー」『東洋史研究』47号、1988
D.S.Richards(tr.), The Chronicle of Ibn al-Athir for the Crusading Period from al-Kamil fi'l-Ta'rikh, vol. 3, Farnham & Burlington, 2008

(追記)
 現在の世界史Bの教科書ではホラズム・シャー朝の滅亡時期は東京書籍が1220年で、山川、帝国書院が1231年を取っているようです。ただいずれもチンギスがホラズム・シャー朝を滅ぼしたという扱いになっているので教科書的にはこの問題は成り立つのでしょう。しかし1220年を取る東京書籍はともかく、山川と帝国書院の記述だと1227年に亡くなったチンギスが1231年にホラズム・シャー朝を滅ぼしていることになるのでそれはそれでちょっとどうかなあとは思います。
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