今井昭夫『ファン・ボイ・チャウ』


 世界史リブレット人の一冊。副題は「民族独立を追い求めた開明的志士」。
 
 ファン・ボイ・チャウと言えばベトナムから日本へ留学生を送る東遊(ドンズー)運動との絡みで高校世界史にも出てくるベトナムの活動家である。2013年にベトナムのVTBと日本のTBSが国交40周年を記念してファン・ボイ・チャウを扱ったドラマ『The Partner』を放映したことをご記憶の方もあろう。中華人民共和国および台湾(中華民国)における孫文と同じく、ベトナム国内でも、また反共的な海外のベトナム人コミュニティでも評価が高く、したがって取り上げるのに政治的な問題が起きにくい人物でもある。
 ところが、そのような取り上げられ方をする中で政治的に脱臭・無害化されたファン・ボイ・チャウ像は(むろん一面の事実を取り扱ってはいるものの)ファン・ボイ・チャウの全体像を取り上げているとは言い難い。本書は、東遊運動期に限らずファン・ボイ・チャウの生涯を通じて取扱い、またフエで軟禁されていた時代(実はこの時期が著作が一番多作だという)の思想の変遷についても追っている。

 そのファン・ボイ・チャウの思想にしても、近代東アジアの思想の展開(ファン・ボイ・チャウは漢文世界を重視した)を横軸に、ベトナムのローカルな思想史を縦軸にし、交錯する近代ベトナムの思想史の中でファン・ボイ・チャウの思想の展開を跡付けている。
 例えば横軸においてはチャウは中国の革命派の孫文、立憲君主派の梁啓超の双方と交流があったし、また社会ダーウィニズムに関しては厳復の影響を受けている。亜州和親会では中国、朝鮮、インド、フィリピン、そして日本などの活動家と交わっている(中には大杉栄や堺利彦などの社会主義者もいた)。チャウが影響を与えられたのとは逆に、チャウの著作が朝鮮で広く読まれたというような事実もあるという。
 縦軸については、彼はベトナム儒教の伝統に根ざしており、科挙の試験で優秀な成績を修めていた。
 日本との関わりの中では東遊運動期における日本との連帯を目指した思想が強調されるが、日仏協約によるフランスからの横槍とそれに迎合した日本政府の動き、またその後徐々に帝国主義的傾向を強めていく日本への警戒などから一時的に宗主国フランスとの連携を述べている時期もある(この時期のチャウの思想の評価については本書の述べる通り難しいものがあるようだ)。

 総じて、政治史と思想史をそれぞれ扱い、その交錯に考察が及ぶ書きぶりとなっている。ベトナム近代の思想史は学術的なもので手軽に読めるものは少ないが、本書はその点でもフックを作るのに役立つだろう。東アジア近代思想史の広い相互関係について知りたい向きには必読の一冊である。
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鉄勒京二

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