長谷川貴彦『現代歴史学への展望』


 主にイギリスと日本の現代歴史学の方法論の変遷を辿る史学史的論集。
 副題は「言語論的転回を超えて」。
 
 言語論的転回はソシュールおよびウィトゲンシュタイン以降の影響を受け、直接的にはフーコー、デリダ、リオタールら以降のポスト構造主義において、我々の認識や行動が言語に規定されている、あるいは現実が言語によって構成されているという立場を主流哲学が取るようになったことを指す。これは哲学に留まらず様々な学問の方法論に対応を迫り、歴史学においてもそれは例外ではなかった。

 本書は、イギリス近代史および歴史理論を専門とする長谷川貴彦氏(以前このブログでも長谷川氏の『イギリス現代史』を紹介したことがある)が、主にイギリスの具体的な歴史研究においてどのような方法論が用いられてきているかを史学史的に分析・配列しており、その中で歴史学者たちが言語論的転回をどう捉え、対応し、場合によってはどう利用してきたかも述べられている。
 日本の実証主義的傾向が強い史学研究を知っていると意外の感があるのだが、イギリスにおいては言語論的転回はむしろ史学研究に(反発も招きながらではあるが)取り入れられている部分もあるようだ。

 第一部「社会史から言語論的転回へ」では言語論的転回前夜に史学研究のパラダイムとなっていた社会史研究の展開が述べられている。
 一方でアカデミズムにおける顕彰史学的な傾向への対応として下からの社会史が志向されたこと、もう一方ではアカデミズム内部で歴史学に対する科学性の要請(著者は述べていないがこれは単に実証主義的という意味ではなく、D-Nモデル的な「科学的」説明を可能とするべく志向されたものだろう)から、社会科学的手法が歴史学に取り入れられていたことが確認される。
 社会史が主流であった時代はマルクス主義の影響が未だ強かった。言い換えると、下部構造=経済により上部構造=文化や政治などが規定されるという見方が大勢だった。しかし、この社会史研究は構造の連続性を示す結果となり行き詰まりを見せたこと、またポストモダン理論の流入により文化や言語の相対的自立性が強調される構築主義的転回を迎える。これは第二部で示される基底理論としての文化史の台頭とも連動しているようだ。

 第二部「展開する歴史学」では、言語論的転回への直接的な歴史学からの反応が示される。
 特に重要なのは第四章「物語の復権/主体の復権」であろう。
 従来、ポストモダンからの歴史学批判は歴史家の叙述に対するものであった。しかし、本章では歴史家が史料の読み方にポストモダン理論を応用し、新しい展開が発生していることが述べられている。
 ポスト構造主義、就中フーコーは主体を言説内部の位置に起因する「効果」と見なし、主体的な認識・行動などを環境の中に回収してしまった。では「主体の復権」とはどういうことか。簡単に言ってしまえば主体が依拠する物語(narrative)の読み方は各々によって異なるし、決断は場の偶然性にも支配される。全き主体の復権ではないにせよ、これは社会全体を基底する物語/言説の網の目に全てが決定されるという立場を覆す。
 関連して、主体が依拠する物語についてはリオタールの「大きな物語」の死と「小さな物語」の並立という観点が援用される。これは社会全体に通用するメタ物語が解体され、同等の「もっともらしさ」を持つ語りが複数並び立つ有り様を指す。これが「物語の復権」というわけである。
 「主体の復権」と「物語の復権」が交錯する場として、オーラル・ヒストリーやエゴ・ドキュメント(一人称で記された回想録や日記など)の分析によるパーソナル・ナラティブ論が勃興しており、本章の後半はこの具体的研究の紹介に充てられている。

 第三部は先の一部・二部とは変わって日本の戦後歴史学への言及となる。こちらはイギリスにおける現代歴史学との比較もしながら学術誌『社会運動史』と二宮史学の位置付けを試み、終章においては本書全体を受けての将来の展望を述べる。

 管理人は近現代イギリス史は専門外なので個別的な研究についてはコメントすることができないし、現代思想についても半可通気味のところがあるのだが、少なくともイギリスにおいては歴史学がポストモダンの影響に対し迂回したり無視したりすることなく応じているということじたいは読み取れる。
 本書をしっかり理解しようと思えばイギリス近現代史における先行研究への知識と、主にフレンチ・セオリーに代表される現代思想への理解が不可欠だろう。それでも、現代歴史学が言語論的転回へどう対応すべきかという道筋のひとつを示すものとして、それだけの準備をして読み込む価値のある本であることは間違いない。個人的にもいずれ再読したい一冊となった。
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鉄勒京二

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