水上遼『語り合うスンナ派とシーア派』


 副題は「十二イマーム崇敬から中世イスラーム史を再考する」。
 
 スンナ派とシーア派は(ハワーリジュ派などの少数派を除けば)いずれもイスラームを二分する大宗派である。水と油の関係と思われがちな二者だが、実はその宗教知識人の間でも相互に文献の参照が認められるという。本書は、十二イマームをテーマにした中世の文献を手がかりに、スンナ派とシーア派の学術的交流について探ったものだ。
 
 十二イマーム以前に正統カリフと言うとアブー・バクル、ウマル、ウスマーン、アリーの四代だとすぐに思い浮かぶ。だが本書によると、そもそもスンナ派の正統カリフ観において、アリーも含めて四代であるとする見解が定説となるまでにも紆余曲折があったらしく、初期スンナ派にとってアリーは非難すべき対象であったとされ、アリーの正統カリフとしての評価が固まるのはかなり時代が降ってアッバース朝時代に入ってからだという。
 これ以後、スンナ派内部でもアリー一族への評価が進み、シーア派がイマームと見なす人々への評価も高まっていく。面白いのは、このスンナ派の著作にはシーア派の著作の影響が見られ、また逆にスンナ派の著作からの影響もシーア派の著作に見られるという。この相互参照は、一部では戦略的意図もあっただろうし、また別の一部では批判の面もあっただろう。必ずしも敵対的なものばかりではなく、対話が成立していたという事実が興味深い。

 少し気になるのは、本書の内容とは逆のベクトル、すなわちシーア派のスンナ派が正統カリフと見なす人々への評価だ。シーア派の中でもザイド派はアブー・バクル、ウマル、ウスマーンの三人をアリーより劣ってはいるが正統であると見なす。また、本書も引いているイブン・アッティクタカーはシーア派の著述家だが、先の三人に加え驚くべきことにムアーウィヤの美質についても記している。本書の狙いの裏面となるこれらの事柄について、(頁数の制限はあるのだろうが)少しなりとも言及があればよかったのではないかと思われる。

 とは言え、現代において、スンナ派とシーア派のイメージは固定化されがちで、しかも対立的に捉えられることが多い。しかし、本書の示す内容はそれが歴史的には多分に流動的であり、常から一貫していたわけではないということを教えてくれるだろう。
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鉄勒京二

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