リチャード・E・ルーベンスタイン『中世の覚醒』


 副題は「アリストテレス再発見から知の革命へ」。
 
 ヨーロッパにおいて「中世は暗黒時代である」という言説は既に古いものだと見なされるようになって久しい。しかし、中世は長く、またヨーロッパも広く様々な地域からなり、時代を象徴するものも様々な分野にわたる(経済、生活、学問、技術などなど)。本書は、主にヨーロッパの中世思想史の分野において、アリストテレス哲学がいかにキリスト教思想と時に互いを補いながら、時に軋轢を起こしながら、展開していったかを述べたものだ。
 著者の立場は明快で、アリストテレス哲学を称揚する。もっとも、それは必ずしも信仰と敵対的なものではなく、アリストテレス哲学を奉じた学者たち(哲学者というより神学者に分類されるような人も多い)の中にはキリスト教に対して確固たる信仰を表明した人々も少なくない。一方で、アリストテレス哲学によるキリスト教思想の変容を良しとしない立場の者もまた同様に少なくない。
 アリストテレスの弟子でありうるか否かは、中世においては信仰の外の中の問題ではなく、あくまで信仰の中でどちらの立場を取るかの問題だったわけだ。

 本書では、その対立軸を示しながら、それぞれの思想家たちの人間模様も織り込み、いわば中世キリスト教思想家群像劇とも言える筆致をとる。クレルヴォーのベルナールと、ピエール・アベラールおよびブレシアのアルノルドとの対立関係や、フランシスコ会とドミニコ会の対立、その中でそれぞれの会に属し敵対関係にありながらも友人同士であったボナヴェントゥラとトマス・アクィナス、かれらの共通の敵であったラテン・アヴェロエス主義者ブラバンのシゲルスなどなど。
 思想の内容そのものはあまり理解できずとも、人間模様を追っていくだけでなかなか興味深いということにも気付かされるので、予備知識なしに読み進めても面白い本だ。

 一方で、思想の展開としては中世を通じて(緊張を孕みながらも)理性と信仰を調和させてきたアリストテレス哲学は、本書の終盤、近代へと時代が移り変わり、理性と信仰が完全に分かたれる過程で否定されてしまう。

 これを古代哲学からの解放、思想の進歩とみなすのも一つの見方だが、著者はその見方に必ずしも同意せず、理性と信仰の間に紛争の種の尽きない今こそ、理性と信仰の間を取り持っていたアリストテレス哲学の知恵に学ぶことが必要ではないかと示唆する。
 このあたりはコミュニタリアニズムの論者(代表的な人物としてはチャールズ・テイラーや初期のマイケル・サンデル等が知られる)が善の問題と正義の問題は切り離せない、と議論したことに通じており、著者の専門が中世哲学ではなく、公共問題、特に「紛争解決」であることを思い起こすと納得がいく。この点、著者の立場に特定のバイアスがあることは否定できないが、ただ著者はそれに自覚的であり明文で示してもいるので、読者の方で気を付ければよい。
 また、中世哲学においてイスラーム哲学の影響は大きく、著者もその点を強調しているのだが、イスラーム哲学そのものへのページの割かれ方はそれほど大きなものではない。本書を読んで興味を持たれた向きは、解説の山本芳久氏の述べるように井筒『イスラーム思想史』などに当たるといいだろう。
プロフィール

鉄勒京二

Author:鉄勒京二
当ブログは一介の歴史好きが読んだ本を紹介したり、書いた文章を公開したりするための場です。執筆記事は西アジア史関係が多いですが、読書は西アジアにこだわらず地域・時代を広く浅く扱っています。
当ブログの内容を雑誌・書籍等にご利用されたい場合はご一報下さい。
管理人への連絡は下記メールフォームか拍手でどうぞ。

検索フォーム
カテゴリ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

アクセスカウンター
リンク
月別アーカイブ