根津由喜夫『聖デメトリオスは我らとともにあり』


 副題は「中世バルカンにおける「聖性」をめぐる戦い」。
 
 聖デメトリオスは軍事聖者であり、ビザンツ帝国時代にコンスタンティノープルに次ぐ第二の都市であったテサロニケの守護聖人でもある。本書は、12~14世紀に、聖デメトリオスを「おらが聖人」として、ビザンツ帝国(と亡命政権エピロス)、十字軍国家テサロニケ王国、ブルガリア、セルビアなどの政治勢力が取り込もうと争った経緯を述べたものだ。
 いかに大都市とは言え、一都市の守護聖人がなぜ多国間で争奪の的となったのだろうか。実は聖デメトリオスは、街の守護聖人である関係上、街が外敵に蹂躙されようとしている時、結果的に街が守られれば守護聖人の助けがあったことになり、街が守られなければ(守護聖人はそれを座してみていたわけはないので)「何らかの理由(街の堕落など)で街を立ち去った」と解釈されることになる。
 第二ブルガリア王国建国の祖アセンとペータルはノルマン・シチリア王国軍によってテサロニケが陥落した際に、聖デメトリオスがテサロニケを去ったという風聞を利用し、聖デメトリオスがタルノヴォに移ったとし、自分たちの聖人として祭り上げた。
 以降、聖デメトリオスは各地の政治勢力の間で綱引きの対象となっていく。

 面白いのは、セルビア王国は聖デメトリオスを自分たちの聖人としつつも、テサロニケを攻撃せず、版図のうちに組み入れていないということだ。これはかつてブルガリア王カヤロンが聖デメトリオスの街テサロニケを攻撃し、その場で頓死してしまったため、結局聖デメトリオスの庇護がブルガリアには無かった、という解釈を広めてしまったことに鑑みれば、同じ轍を踏むような行為を避けたのだろう、と著者は述べる。
 他者の手のうちにありながらも精神的に重要な都として存在していたテサロニケは、中世西ヨーロッパにとってのイェルサレムのようなものだったのだろうか(もっとも、イェルサレムは十字軍時代には実力行使で奪取されるが)。

 全体を通じて聖デメトリオスに関する話の筋はズレていないが、ビザンツがコムネノス朝~亡命政権だった時期のセルビア、ブルガリアの政治史も含めて知ることもでき、また文章も平易なので気軽に読める。確かに文化史的な側面も強いのだが、中世ビザンツ、バルカンの政治史に興味のある向きにもオススメの一冊となっている。
プロフィール

鉄勒京二

Author:鉄勒京二
西アジア史が好きな一介の歴史好き。歴史理論にも興味があり哲学関係の本も読みます。
望月桜先生の『囚われの歌姫』を考証面でお手伝い中。

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