コチャン・カンとリンク追加

人物まとめできるほど手元に史料が無いんですが、最近コチャン・カンと陳興道が気になってます。
どっちもモンゴルの侵攻に対抗した人で、コチャンはキプチャクの一支族長、陳興道は陳朝ベトナムの将軍です。

陳興道は後々語るとして、ひとまずコチャン。
モンゴルのスベデイとジェベのカフカス~ルーシ侵攻に際して、妻の父であるガリチ公を説得してキプチャク・ルーシ連合を結成、にもかかわらず1223年5月31日、カルカ河畔の戦いでモンゴルからフルボッコ。
1235年から始まるモンゴルの長子軍西征に際しては、他のキプチャク諸族が次々撃破されるなか(ちなみにバトゥの本隊とは離れてベルケがキプチャク征伐の別働隊を率いてたらしい)コチャンは頑強に抵抗を続け四万帳の大集団を引き連れたままベーラ四世治めるハンガリーへ。
多分ハンガリー騎兵とキプチャクが連合すればモンゴルに対抗し得ると考えてたんだろうが、最終的にハンガリーでモンゴルと戦う機会を得ぬままスパイ疑惑をかけられ死去。
コチャンを失ったハンガリーはサヨ河畔の戦いでモンゴルに散々に敗れ去る。

注目すべきは一度散々に破られた男が再びカンの座にいること。一度失脚して帰り咲いたのかそのままの地位にいたのかは分かりませんが、実力を重んじる遊牧民にとって負けた男を指導者として仰ぐのは珍しく、コチャンが結構やり手で人望もあったんじゃないかと思う次第。キプチャク・ルーシ連合にしても詰めの甘さはあるものの政治力がそれなりにあることを伺わせますし。
カルカ河畔の戦いからの10年以上、無為に過ごしてきたわけじゃないからこそキプチャク草原ではモンゴルに抵抗し得たんだろうなあと思います。
案外バハリ・マムルークの誰か……バイバルスじゃなくてもカラーウーンやサンカル・アルアシュカルあたりがコチャンの下にいたんじゃねぇのと妄想しつつ。


さて、リンク追加しました。
どちらも日参させてもらってるサイトさんです。
興味深い内容が盛り沢山なので是非ご訪問を!


あ、それと少し前の話ですが、ラカブについての記事を更新してます
シャムス・アッダウラは王朝の太陽って意味らしいよ
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