外国語史料とサラディンの妹とムアッザム

いやはや、相変わらずベトナム史の方は進捗無しです。誰かヘルプ!

で、まあ十字軍時代の中近東史の話なんですが、正直アラビア語の原文史料は読みようがないのですが、有り難いことに英訳史料がそれなりに出てるのでメモ変わりにリンク貼っ付け
ぶっちゃけ自分用記事
バハーウッディーンのサラディン伝と完史の1146までのは読みたいと思うのでそのうち買うかも
しかし資金のある時は時間が無いし時間のあるときは資金がないですねえ

あ、そうそう、ちょっと論文読み直してて珍しい記述を見かけたんです。サラディンの妹ですって。
アイユーブ家の女性(嫁入りした人も含めて)って記録に残ってるのはムーニーサ・ハートゥーン(アル・カーミルの嫁さんでサラディンの一人娘)と、シャジャルアルドゥッル(アル・サーリフの嫁さんていうかマムルーク朝初代君主)くらいだと思ってたんですが、ラビーア・ハートゥーン(論文によると1243・4没)ていう人がサラディンの妹として名前が残ってて、ダマスカス近郊のモスク建設に関わってたそうです。
没年を見る限り、強盗騎士と呼ばれたルノー・ド・シャティヨンに殺されたっていう妹とは別人のようで、初耳だったんでちょっと気になりました。

ちなみにこの論文、東洋学報68巻に掲載されている三浦徹さんの「ダマスクス郊外の都市形成――12-16世紀のサーリヒーヤ――」といいます。
アル・ムアッザム(アル・カーミルの弟でダマスカスの領主だった)とかヌールッディーンとかの細々とした事業がかいま見れて面白いです。
アイユーブ家は基本的にシャーフィイー派支持だったのにムアッザムが一人だけハナフィー派を支持してたので親父のアル・アーディルにとがめ立てられてたとか(ちなみにスンナ派の四大法学派の中の二つです。残りはマーリキー派とハンバリー派)。
ひょっとしてカーミルとの仲違いの原因だったりしたんだろか?ダミエッタがペラギウスの第五回十字軍に落とされたときは危険も顧みずムアッザムはカーミルを助けるために十字軍の補給線を寸断する作戦に出てますが……。

後、ムアッザムが思いの外敬虔で、親父(アル・アーディル)と伯父(サラディン)の墓に毎金曜日に参ってた、とかいう話も載ってます。


……なんかムアッザム語りになってしまったな。嫌いじゃないんですよ、ムアッザム。やや不器用っぽいけど一途なところとか。カーミルの方が好きではあるんですけどねw


本題とずれましたが以下リンク
バハー=アッディーン・イブン=シャッダード著
サラディン伝(スルタンの珍しい事どもとユースフの美徳)



イッズ=アッディーン・イブン=アル=アシール著
完史(英訳されているのは著者の生きた時代と同時代分のみ)

上 1097-1146(フランクの来寇とムスリムの反応)

中 1146-1193(ヌールッディーンとサラディンの時代)

下 1193-1131(サラディン後のアイユーブ朝とモンゴルの脅威)

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鉄勒京二

Author:鉄勒京二
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