アッバース朝のムスタルシドについて

アッバース朝のアル・ムスタルシドが気になる……しかしセルジューク朝もそろそろ瓦解しようかという時期のアッバース朝カリフなぞ資料がなかなか無いような気がするぞ。
兵どもが夢の跡とでも言うべきムスタルシドの行動は以下の通り。

即位(1118)
→セルジューク朝の跡目争いにつけ込んで軍を掌握
→困ったセルジューク朝のスルタンはザンギーにヘルプを求める
→バグダード近郊でザンギーに破れて宮殿に幽閉
→五年間雌伏...
→セルジューク朝スルタン死去、再び跡目争いにつけ込む
→ザンギー再び出撃
→カリフ自ら待ち伏せ
→ザンギー敗北、ティクリート領主時代のアイユーブの助けによって逃走
→ザンギーが籠もったモスルを攻撃、失敗
→この失敗で権威が地に落ち
→セルジューク朝スルタンに捕まって死去(1135)

まるで後鳥羽帝を更に図太くしたような御仁です

……書いてて思ったけどよく考えたらアイユーブってアッバース朝が権力を再び握るのを阻止した張本人なのね。
ひょっとしてナーシル様がサラディンを嫌ってぐちぐち言ってたのって単にサラディンの名声が気に入らなかっただけじゃなくてこのせいもあるのか?考えすぎ?

アレですね、アッバース朝ってブワイフ勢力のバグダード入城以降落ちぶれた落ちぶれたって言いますけど期を見ては実権取り返そうとしてるのね。
ナーシル様もホラズム・シャー朝のテキシュを呼び寄せてセルジューク朝を潰してますからね。ホラズムの力を利用して聖俗両権を再びカリフの手に!とか思ってたらしいです。まあ、ホラズムに押さえられてうまいこといかないのもお約束ですが。

それにしてもザンギーにしろサラディンにしろ同時期のカリフがアレな人だなあ……。
フィリップ2世オーギュストは「教皇のいないサラディンが羨ましい」とか何とかのたまってたそうですが、カリフ様も教皇と同じくらいたちが悪いよ?

でもトルコ人の支配に甘んじてきたアラブ人にしてみればこのムスタルシドとナーシルって希望の星だったのかなあと思わないでもない。
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鉄勒京二

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